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縁の下のバイオリン弾き
29 アイリッシュ・ミュージック
2011年8月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
七月の中旬ノースキャロライナ州であったミュージック・キャンプに一週間ほど行ってきた。アイリッシュ・ミュージック(アイルランドの音楽)をひくためだ。

ミュージック・キャンプというのは文字通り音楽合宿で、アッシュビルという町にあるウォーレン・ウィルソン大学を借り切って行われる。参加者は大学の寮に起居し、毎日クラスに出席する。

このキャンプは週毎にそれぞれ別のテーマがある。オールド・タイミー(アメリカの古いフォークミュージック)の週、フィドル(バイオリン)だけを練習する週、ギターの週、歌の週などがある。その中にケルティック週というのがある。私とリンダが参加したのはこの週だった。

ケルティックというのは「ケルト人の」という意味だ。アイルランドやスコットランドはもともとケルト人の国だった、というところからこの名がある。フランスやスペインの一部にもケルト人のすみついた場所があり、またカナダではスコットランドやフランスからの移民が本国からうけついだ音楽を演奏している。それらを総称してケルティック・ミュージックというのである。

それではケルト人とは何かということになるが、これがなかなかむずかしくて私などにはよくわからない。なにしろ紀元前からヨーロッパに住みついていている人たちで一時はけっこうはばをきかせていたのだが、イギリス人やフランス人に征服されて辺境に追いやられてしまった。その辺境がアイルランドやスコットランドだったわけで、だから彼らはおおむね英国にいい感情を持っていない 。

もとは独立王国だったアイルランドは英国に併合され植民地として徹底的にしぼり取られた。

アイルランドやスコットランドでは英語とは全然違うゲール語(ケルト語)が話されていたが英国の方針でこれが禁じられたためにこの言葉は一時絶滅にひんしていた。英国から独立した現在、アイルランドではゲール語は英語とともに公用語になっている。スコットランドは独立せず、今でも英国の一部だ。でも文化的にはアイルランドと同じケルトの文化をうけついでいるという意識がある。宗教もカトリックを奉じていて新教のイギリス国教会とは対立している。

アイルランドは長い反英闘争の末、20世紀のはじめにようやく独立を勝ち取った。しかし独立したのはカトリック26州で、プロテスタントが多い北部6州は英国にとどまる事を選んだ。これが今につづくアイルランド紛争の原因だ。アイルランド全部の独立をめざしてIRA(アイルランド共和国軍)という組織がこの6州で英国に対してはげしいテロをおこなった。英国も弾圧をもってのぞみ、流血事件がたえなかった。英国にしてみればテロリストだが、アイルランド側から見れば自由の闘士たちが続々と死んだ。獄中でハンガーストライキの結果なくなった者もいる。私が香港にいた70年代などには、英国の兵士と恋におちたアイルランド女性がIRAによって頭を丸坊主にされ、みせしめとして街路樹に縛られる、なんていう陰惨な写真が新聞にのったものだ。

アイルランドというとこの反英闘争があまりにも有名だ。それで映画にアイルランドが現れるとほとんどといっていいほどこれが反映している。「アラビアのロレンス」で有名なデヴィッド・リーン監督の「ライアンの娘」、あるいはハリソン・フォード主演の 「パトリオット・ゲーム」、また普通はゲイの映画だと思われている「クライング・ゲーム」、闘争の中で敵味方に分かれて戦う兄弟の話「麦の穂をゆらす風」などがある。それから忘れてならないのは英国からの独立そのものを扱ったリアム・ニーソン主演の「マイケル・コリンズ」だろう。

現在アイルランドはEU(欧州連合)に加盟している。ヨーロッパ全体が一つの国みたいになろうとしている今、アイルランドの闘争はだんだんとその意味を失った。05年にIRAは武力闘争の終結を宣言している。

話をもとにもどして、アイリッシュ・ミュージックというのはどういうものかというとこれは多くの国の民族音楽がそうであるようにダンス音楽だ。ジグとかリールとかいうダンスの伴奏として演奏される。

楽器は私のひくフィドル、それにバグパイプ、フルート、アコーディオンなどが主なものだ。民族音楽ではバイオリンのことをフィドルという。しかし楽器としてはまったく同じもので、バイオリンとフィドルという2種類の楽器があるわけではない。弾き方がちがうだけだ。

昔はこれらの楽器でメロディーだけが演奏され、ギターなどの伴奏楽器はなかったのだが、今ではギターも弾き方が研究されて使用楽器に入っている。前世紀の後半にバンジョーやブズキ(ギリシャの楽器)がとりいれられた。マンドリンやピアノがひかれることもある。

楽器の数は多くなったが、メロディーだけ、という規則は今でも守られていてハーモニーをひくことは原則として禁止だ。トランペットなどの金管楽器はない(フルートはアイリッシュ・フルートといって木製だ)。ドラムやベースはまずない。リズム楽器としては片面だけに皮が張ってある小ぶりの太鼓ボウランとボーンズ(骨という意味だけど片手の指の間に2本の木片をはさんで打ち鳴らすもの)がある。

電気楽器はいっさい使わない。

ダンス音楽だから一定のメロディーを速い調子で繰り返して演奏する。曲はたいてい32小節の短いものだ。3、4度演奏したら曲を変える、ということがひんぱんにおこなわれるので、この音楽に熟達しようと思うと膨大(ぼうだい)な曲目のレパートリーを持っていなければならない。楽譜はまったく使わず、すべて耳で聴いて覚える。

音楽好きがあつまってダンス抜きで演奏する事をジャム・セッション、あるいは単にセッションという。これが私たちアイリッシュ・ミュージシャンの生きがいである。パブなどでテーブルを囲んで椅子にすわったミュージシャンたちが宙をにらんでそれぞれの楽器をシャカリキに演奏する。普通の音楽の感覚からすればとほうもない速いスピードだ。

アイルランドに歌は馬に食わせるほどあるが、スピードが違うのでセッションではまず歌われない。器楽のみである。

曲を始めたものが途中で「アップ!」と叫ぶと曲を変えるぞ、という合図だ。みんな一瞬手をやすめてその男(あるいは女)の弾き出す曲に耳をかたむけるが、すぐにどの曲だか察知して、さあらぬていで演奏にもどる。その曲を知らない者はしかたがないから演奏を休む。

われわれミュージシャンにはこの曲目の転換が多ければ多いほど、自分の知っている曲が演奏される可能性が高く、それが自己満足をよびおこす。やっているうちに演奏者も聴衆もだんだん興奮してくる。その「ノリ」が魅力なのだ。

アイリッシュ・ミュージックが好きな人にとってはこたえられない。でもこの音楽を全然知らない人が聞くとすべて同じように聞こえる。セッションはたいてい何時間も続くが、はじめての人には一つの曲を延々とやっているようで単調なことこの上ない。「アイリッシュ・ミュージックには曲は一つしかない。あとはぜんぶその変奏曲だ」などと悪口を言われるゆえんだ。

したがってよほどの名手でなければプロにはなれない。それでも楽器をやっていれば人に聞いてもらいたいのが人情だからセッションに集まるのだが、聞くより演奏する方がはるかに楽しいので実際のところは聴衆のことなんかてんで考えていない。

セッションの仲間こそが真の意味で友人であり、ライバルである。おたがいにセッサタクマする、といえば聞こえはいいがそこはそれ競争もあればねたみもある。仲間と一体となって会心の演奏ができたと感じる時もあれば、技術の差と感性の違いに泣かされることもある。たかが音楽とあなどれない、言うに言われぬ心の葛藤(かっとう)がある。栄光と挫折、歓喜と絶望の間を上り下がりして年月がたって行く。もうまるで人生そのものだ。

特に私のように生まれからしてアイリッシュでもなく、白人ですらない者が(アイリッシュは断るまでもなく白人の音楽だ)他国の伝統音楽の中に入り込む苦労はなみたいていの話ではない。外国人が日本にやってきて津軽三味線をひいたり尺八を吹いたりするところを想像して下さい。音楽は万人に開かれた国境のないコミュニケーションだとはいえ、一方ではやはり日本に生まれなくっちゃこの音楽は、と信じ込んでいる人々もけっこういる。

外国人に日本の音楽は無理だ、といいながら、外国への関心が高く,異文化の音楽をやりたがる者が多いのも日本人だ。クラシックはもちろんのこと、ロック、ブルース、ジャズ、その他ありとあらゆる音楽のジャンルで日本人が活躍している。高い評価を受けている。アイリッシュ・ミュージックでも近年は日本からたくさんの若者がアイルランドに行って本場の音楽を学び,高度の技術を身につけて日本に帰っている。でも私が曲がりなりにもアイリッシュ・ミュージシャンになれたのは、やはり外国人に寛大な移民の国アメリカにいたせいだと思う。私の音楽仲間だってたいていは非アイリッシュのアメリカ人だ。

アメリカに来るまで、アイルランドとアイスランドの区別すらロクにつかなかった私がなぜアイリッシュ・ミュージックをやるようになったのかというと、それはまったくの偶然だった。

アメリカに来たとき、アメリカの音楽を学ぼうと思いたった。子どものころに少しだけやったことのあるバイオリンならなんとかなるんじゃないかと思って成人向けのフィドルのクラスをとった。ところが場所が悪かった。そこはボストンだった。アイリッシュのケネディ大統領がボストン出身だったことでもわかるように、ボストンは特にアイリッシュの多いところだ。そのクラスの先生は当然のようにアイリッシュ・フィドラーだった。私は知らないうちにアイリッシュ・ミュージックを学んでいたのだ。

そのクラスを取る前、私は公園を歩いていて一群の青年男女がさまざまな楽器を手にして音楽を演奏しているのに出くわした。どこのなんという音楽なのかまったくわからなかったけれど、ひとりが小ぶりの太鼓を手にしているのを見て、ただ太鼓の呼び起こす連想からアメリカ先住民(いわゆるインディアン)の音楽ではないかと思った。

この太鼓が前述したボウランで、音楽はアイリッシュだった。それ以来30数年この音楽のとりこになっている。なかなかうまくならないのでやめようと思ったことも何度もある。その反面音楽の支えがなければアメリカの社会で生きて来られなかったと感じたことも一再ならずある。

キャンプではクラスにも出たがあまり得る所はなかった。しかしお目当てのセッションのほうは毎晩参加して深夜2時ぐらいまで演奏を楽しんだ。

阿波踊りではないが、「踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らにゃ損々」というのが私のモットーである。












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