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ボーダーを越えて
84 ホンジュラス(6)原則に沿って
2006年4月14日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 人権擁護のために、我が身の危険を冒しても信念を貫き通すフアン・アルメンダーレスさん。
▲ 拷問被害者のリハビリに貢献するマリツァ・オハラさん。
2年前の日本で、「トラウマ」という言葉が「苦い経験」というようなことに使われたのを耳にして、あれっ?と思ったことがある。「トラウマ」とは、精神または身体の正常機能が一時止まってしまうほどの大変な衝撃、あるいはその体験を指す、非常に深刻な言葉だ。平穏な日本では、ちょっと並外れた(と本人が感じる)不愉快なことが「トラウマ」として響いてしまうのだろうか。日本人はそんなにひ弱なのだろうか。それとも、もともと「トラウマ」という言葉の重みを知らずに使っているのだろうか。と、そのときはいろいろ思いを巡らせたものだ。

ホンジュラスでそのことを思い出した。テグシガルパのCPTRT(Centre for the Prevention, Treatment and Rehabilitation of Torture Survivors=拷問防止と拷問生存者治療リハビリセンター)で、警察や牢獄で拷問を受けた人々の心身の傷を癒す仕事について、説明を聞いていたときのことだ。センターでは創設者の1人でディレクターのフアン・アルメンダーレス医師(Dr. Juan Almendares)が会見に応じてくれるはずだったのだが、たまたまその日の午後に未成年者へのアルコール販売に反対するデモがあり、アルメンダーレスさんはそれに参加して留守だったので、実際に拷問生存者の治療に携わっているマリツァ・オハラ(Malitza Ohara)さんが代わりに応対してくれた。

(「オハラ」という名前に、おや?と思う人もいるかもしれないので、ちょっと説明しておこう。「オハラ」といっても「小原」ではない。語源はアイルランド系の姓 [O’Hara] で、マリツァさんの先祖にアイルランドからアメリカ大陸に渡った人がいるのだろう。)

オハラさんの説明を聞いていて、ホンジュラスの日常生活がどんなに暴力の脅威にさらされているかが膚で感じられてきた。なにしろ、ホンジュラスに到着して丸2日も経っていないのに、ガードマンの大きな銃はいたるところで見かけるし、反政府活動したために消された人々の家族や、農地改革を求めるがために身の安全を脅かされている農地を持たない農業労働者の団体の代表者に話を聞いたばかりだったから。

政治犯はもとより、軽犯罪者やホームレスの子どもなどに対しても、警察や牢獄では拷問がルーティーン化し、法の枠など無視されているとオハラさんは言う。拷問体験者は、釈放後も拷問の「トラウマ」のために日常生活が正常にできず、家族にも大きな影響を与えることが珍しくないのだそうだ。そこで精神科や臨床心理学の専門家がその「トラウマ」克服の手助けを差し出すために、1995年にこのセンターが設立されたのだが、このセンターそのものもアルメンダーレスさんも、何度かオフィスを荒らされ、書類が盗まれたり破壊されたりし、殺しの脅迫を受けている。

(最近の脅迫は去年の9月と10月に起こり、アルメンダーレスさんの身の安全を心配したアムネスティ・インターナショナルは、世界に向けて警戒を呼びかけた↓。
http://web.amnesty.org/library/Index/ENGAMR370052005?open&of=ENG-HND

センター設立者のアルメンダーレスさん自身が拷問体験者である。
「空港に降り立つと、言いようもない恐怖感に襲われるんですよ」
翌日、別のクリニックで会見に応じてくれたアルメンダーレスさんは率直にそう言った。空港で拘束されたことがあるからだ。

アルメンダーレスさんはホンジュラスで最も人々を奮起させる人だと、ツァー引率者のサンドラさんは尊敬の念を籠めて言っていたが、まさにその通りだった。大変に温和な人柄が、彼の表情や仕草の隅々に溢れているが、それと同時に、強く貫かれた意志も表れている。つねに小農民や労働者やホームレスや先住民など、虐げられた人々の側に立って彼らの人権と健康と生活を守ることに献身し、環境保護にも貢献してきた。その仕事が認められて、2001年にはバーバラ・チェスター賞を受賞している。

アルメンダーレスさんがカリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部に留学したとき、レーガンがカリフォルニア州知事だった(1967-1975)。「レーガンには随分奮い立たされましたよ」と言って、アルメンダーレスさんはいたずらっぽく目で笑った。社会保障予算をどんどん削って、精神病患者をどんどん路上に放り出したレーガンを見て、アルメンダーレスさんはアメリカの右翼政治家の恐ろしさに唖然としながら、そのアメリカ政策の波紋が中米に大きく広がるのを膚で感じていたことだろう。レーガンが大統領就任中(1381.1.20-1989.1.20)に、中米は戦場と化し、ホンジュラスはアメリカの軍事基地となったことは、「45 ホンジュラス(4)消え去った人々」でも触れた。

アルメンダーレスさんは1979年にホンジュラス国立大学学長に選ばれ、1981年にも再選された。が、アメリカ大使(「消え去った人々」で述べたネグロポンテ)が「アルメンダーレスは国家保全を脅かす」と横槍を入れ、再選を取り消すよう、ホンジュラス最高裁判所の判事に圧力をかけたのだった。判事は自分たちの身の安全を案じて、アメリカの要求を呑まざるを得なかったという。

昨年11月のホンジュラス大統領選挙に、アルメンダーレスさんは人権擁護団体に推されて立候補した。当選の見込みはなかったが、持たざる人々の声を反映させなければ、という思いが彼にはあった。同時に、できるだけ名を広めることによって暗闇の中で暗殺されることを防ごうという目論みもあったと率直に言う。そして、「私はできるだけ原則に沿って生きて行こうと思っているんです。その結果がどうであろうと」と、重ねて言い切った。

アルメンダーレスさんがこんなに勇気を持ち続けていられるのはどうしてなのだろう?
「信条(faith)を持つことが大切だと思うんですよ。キリスト教とか仏教とかのような宗教とは関係なくていいんです。私の信条は人権擁護や平和から生まれたものです」
信念と言ってもいい。もともとはカソリックの環境の中で育ったのだろうが、制度としての教会には全く希望を持っていないようだ。前日、未成年者に対するアルコール販売に反対するデモにアルメンダーレスさんは参加したが、この件に関してカソリック教会は何も声明を出していない、と呆れたような口調で言った。教会組織の末端には、立派な仕事をしている神父たちがいるのに、とも。

と言っても、アルメンダーレスさんは誰もが彼のように強い意志と勇気を持って闘い続けるということを期待してはいるのではない。彼の話を聞きながら、自分に何ができるのかと自問していた私を慰めるかのように
「誰にでも小さな貢献ができるのですよ」と、言った。「小さな貢献からどんな結果が生まれるか、やってみなくちゃわかりません。」
そう言われて、私はどこかホッとした。どんな小さいことでもいいのだ。

それで、是非ホンジュラス報告をこのエッセイ欄に書いて、ホンジュラスの状況と人々について、太平洋を越えた日本の方々にもできるだけ知ってもらおうという気になったのだ。情けないけど、いまのところ、私にできることはそれしかない。

帰りに、大地を大切にしながら小農民が育てたオーガニックのコーヒーをお土産にと、いただいた。アルメンダーレスさんの優しさは無限に広がっているのが、そんな仕草にも表れる。
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84 ホンジュラス(6)原則に沿って
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