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縁の下のバイオリン弾き
28 乳と蜜の流れる土地
2011年7月9日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
私は中学校がカトリック系のミッション・スクールだったので,キリスト教には一応の知識がある。といっても信徒になったわけではないから、知識と言ってもしれたものだけれど。

そのころ旧約聖書にある「乳と蜜の流れる土地」という言葉に出会った。いや、聖書を読んだわけではありませんよ。学校でそういう言葉を耳にしたのだ。神がユダヤ人に与えると約束したカナンの地のことで、現在のイスラエルにあたる。

これがわからない。「乳と蜜が流れる土地」なんて全然イメージがわかない。流れるというからには川のようになっているんだろうが、白い牛乳の流れる川なんだろうか。どうやったら牛の乳房から川になって流れるほどの牛乳を放出させることができるのだろう。蜂蜜がいっしょに流れているんだったら、そのうちに溶けてしまって見分けがつかなくなってしまうんじゃないだろうか。それなのに「甘い牛乳が流れる土地」ではなく、断固として「乳と蜜」と区別している。

そんな川のある場所が理想的な土地だ、という感覚も理解できない。牛乳と蜂蜜ってそんなにいいものだったんだろうか。私は牛乳を飲むのが苦手だったし、蜂蜜なんか我が家の救急箱にやけどの薬として入っている小さなビン入りのものしか見た事はなかった。

私が子どものころ西洋の事物で分からなかった事はいっぱいあるけれど、これなんかはそのもっとも象徴的なひとつだった。

今考えてみると無理もないと思う。日本は牧畜を行わない国だから、牛乳をはじめとする動物の乳、また乳製品の大切さがほとんど理解されていない。牧畜は動物を増やすのが目的で、その大切な羊や牛や豚を食べてしまったらそれだけ資本が減るわけだから牧畜民は肉をめったに食べず、その乳を使った乳製品を食べるのだ、ということを後になって学んだ。

旧約聖書のモーゼの民は牧畜民であったにちがいなく、乳は重要だったのだろう。

また当時甘いものといえば蜂蜜に及ぶものはなかった。砂糖はまだ生産されていなかった。蜂蜜は人類最古の食物のひとつで、エチオピアやポーランドには今でも蜂蜜でつくる酒がある。酒まで作ってしまうんですよ!そしてこれが驚くなかれ、人類最古の酒のひとつなんだそうだ。蜂蜜がどんなにありがたいものだったか、われわれの想像を許さないものがあっただろう。

そう思ってみると、「乳と蜜」が象徴するもの、つまり乳製品と甘いものの二つが西欧の食生活でどれだけ大切かということに気づく。

「乳」はそのまま飲むだけでなく、肉以外のものをすべて「動物の味」に染め上げるために使われるのだ。洋食では付け合わせの野菜、たとえばにんじんとかグリンピースとかとうもろこしとかをゆでる事が多いけれど、そのゆであがった野菜にはバターをのっける。レストランのメニュ―には「温野菜、バターソース添え」などと書いてある。バターソースというからにはバターをベースにしていろいろなものを加えたソースなんだろうと思うのがふつうではなかろうか。しかし「バターソース」というのは単に溶けたバターのことだ。アメリカに来てそれがわかってだまされたような気になった記憶がある。

ジャガイモの丸焼きなんか、バターを溶かすだけでは足りなくて、わざわざ同じ乳製品のサワー・クリームをのっける。マッシュポテトには作る時に牛乳を入れるし、食べる時にバターを加える事も多い。

チーズはなくてはならない食材だ。西洋の小説を読んでいるとよく「パンとチーズでそまつな食事をすませた」という描写に出くわす。これが日本の食事にひきくらべてどの程度「そまつ」なのか私には興味があるのだが(にぎりめし?日の丸弁当?)、よく考えてみると材料が「そまつ」だといっているのではない、ということに気がつく。洋食の主体である肉が入っていないから、もう自動的に「そまつ」に分類されるのではなかろうか。そう考えないと、チーズほど栄養のあるものを食べて「そまつ」呼ばわりはあんまりだと思う。

だから肉が入っている食事にもあたり前のようにチーズが加えられる。チーズバーガーがいい例だ。

アメリカ人は食べ慣れない食事の味わいをチーズかケチャップでごまかす。そのため、メキシコからわずか20分という国境の町サンディエゴ(私の住んでいる所です)ですら、メキシコ料理店で出す料理には黄色く溶けたチーズがごっそりかかっている。チーズさえかけておけばアメリカ人は喜んで食べるからだ。ほんとうのメキシコ料理にはチーズも入っているけれど、くずしたものを上にぱらぱらっとかける程度だ。本物を尊ぶ私はだから国境のこちら側ではめったにメキシコ料理を食べない。

パンにもパスタにもバターをつける。ホットケーキはもちろんだ。オートミールやシリアルにはミルクと砂糖をかける。コーヒー、紅茶にもクリームを入れる。

そんなことはあたり前だと思いこんできたが、これは西洋人が「動物の味」がなければおさまらないという事を示しているのではないだろうか。野菜だの穀物だのの本来の味だけでは満足できないのだろう。

そんな事を言っても日本人だって野菜を調理する時にかつおと昆布のだしで煮しめたり花かつおをふりかけたりする。要するに「魚の味」にしないと気が済まないわけだ。その点ではバターを使う西洋人に一脈通じるところがある。

しかし甘いものとなるとそうではない。

私は以前大学で中国文学の講義をしたことがある。そのときに「昔の中国では日常生活に必要な品が七つあった。薪(まき)、米、油、塩、醤油、酢それに茶だ」と言ったらアメリカ人の学生が納得しない。「砂糖はないんですか」と聞く。私はそれまでこの七つの品のほかにまだ必要なものがあるとは思ってもみなかった。なにしろこの七つの品は中国人自身が数え上げたものだからだ。

強いていえば甘いものはぜいたく品だったろう。昔の中国にも甘味はなかったわけではない。でもそれは金持ちしか味わえないものだった。日本でも事情は変わらないと思う。「君たちねえ、昔の中国では甘いものなんかほとんどなかったんだよ」というと学生たちはなんとかわいそうな、という顔をした。アメリカで日常に必要な品を並べたら砂糖がトップを争うかもしれない。

私は酒飲みだから甘いものがきらいだ。と、こう書いてあるのを読んで不思議に思う日本人の読者はいないだろう。酒と甘味は両立しない。これはだれでも知っている真理である。

ところがこの真理はアメリカでは通用しない。「酒飲みは甘いものを敬遠する」という常識すらない。アメリカの酒飲みは両刀使いなのだ。彼らはさんざっぱら飲んだあと、喜んでデザートを平らげる。

甘いものに関しては日本とアメリカでは感覚に大きなちがいがある。

その甘いものの内容が乳製品とからんでいることが多い。甘いものといってアメリカで真っ先に頭に浮かぶものはチョコレートだが、ミルク・チョコレートのほうがダークよりもずっと人気がある。ミルクの味が主体のホワイト・チョコレートというのもある。

ケーキにはもちろんクリームがつく。クッキーやビスケットのたぐいにもミルクが入っている。

アップルパイ・ア・ラ・モードというのがある。ご存知のように、アップルパイにアイスクリームをつけあわせたものだ。アメリカ人はこの手のものが大好きでなにかというとデザートにアイスクリームを加える。

アイスクリームはもちろん「凍らせたクリーム」ということだから乳製品と甘みの究極の姿だ。

アイスクリームの生産量はアメリカが断然世界一で、日本の6倍強になるという。一人当たりの消費量も3倍強になるそうだ。アメリカの人口は日本の2倍だからそういうことになるはずだが、私の感じでは一人当たりでも日本人の6倍は食べているような気がする。

私がはじめてアメリカのボストンに着いた時は冬のさなかで雪が降っていた。空港から市内にむかうタクシーの窓から私は自分の目を疑う奇っ怪な光景を目にした。アイスクリーム屋の店先に防寒コートと毛皮の帽子で厳重に身を固めた男が立っていてアイスクリーム・コーンをなめているのだった。

それまで私はアイスクリームは夏のものだと確信していた。しかしこの男はアイスクリームの味と食感がよほど好きだったにちがいない。骨まで凍るような寒さの中で、アイスクリームを食べずにはいられなかったのだ。

アメリカのどんな小さな町に行っても、映画館がないことはあってもアイスクリーム・パーラーのない所はない。スーパーではバケツ入りのアイスクリームを売っている。サーティワン、ハーゲンダッツ、ベン&ジェリー、コールドストーンなど、日本に進出したアイスクリームのブランドはみなアメリカのものだ。

アイスクリームそのものはイタリアが発祥の地ということになっているが、その発展に大きく寄与したのは疑いもなくアメリカ合衆国である。手でガラガラまわしてアイスクリームを作る機械がありますね。あれを発明したのはアメリカ人の主婦で1846年のことだったという。

「風とともに去りぬ」の冒頭、スカーレット・オハラは淑女のたしなみとして舞踏会に行く時には前もってお腹いっぱい食事をしておかなければならないという風習(舞踏会でがつがつ食べては名前に傷がつくから)に反抗して「この間行った舞踏会ではせっかくのアイスクリームが一口しか食べられなかったじゃないの」という。小説ではあるが根も葉もないことではあるまい。これが1861年のことで、南部の資産家の間ではアイスクリームが普及していた事がうかがわれる。

その1年前、すなわち1860年に日本からはじめての遣米大使の一行がアメリカに行った。歓迎宴の席上でアイスクリームを食べたのが、日本人がアイスクリームを食べたはじめだとされている。

一行がフィラデルフィアに行った時には米の飯が食卓に出た。感激して食べてみるとバターで味付けされている。がっかりして、バターなしで願いたい、と頼むと再び出てきた飯は砂糖で調理されていてやはり食べられない。無念やるかたない思いでパンを食べた、ということだ。アメリカ人にしてみれば、日本人が米を食べる事を知って親切のつもりで出した飯ではあったが、やはり「乳と蜜」の伝統から抜け出ることはできなかったのだ。

「乳と蜜の流れる土地」という言葉は単に豊かさを象徴した言葉で、文字どおり受け取る必要はないのだろう。でもアイスクリームを見るかぎり、アメリカこそは「乳と蜜の流れる土地」を実現した史上最初の国ではないだろうか。






















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