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ホンジュラス(15)マヤ文明の跡 |
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2006年8月16日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 象形文字の彫られた有名な階段。保存のために大きなテントに覆われている。 |
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▲ 13代目の支配者の彫像石碑。 |
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▲ トーマスはタクシーに乗ってホテルに戻った。 |
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リアリティーツアー6日目は、コパン(Copan)遺跡へ。途中で休憩するためだ。
それまでのリアリティーツアーでは休みなしに活動家たちを訪れ続け、参加者たちはツアーの半ば頃に「頭がこんがらかってきたぁ!」と、悲鳴を上げたそうだ。その経験から、中休みを入れることにしたのだという。これはよかった。ホンジュラスに来てから1週間しか経っていないのに、あまりにもいろいろな人々に毎日会って刺激の多い話を聞き、私の頭の中は飽和状態。もう1ヶ月ぐらいを過ごしたような気がしていた。
でも、お休み以上にありがたかったのは、コパン遺跡へ行けることだった。マヤ文明遺跡の主要なものはほとんどは訪れたことがあるのだが、コパンだけはまだだったのだ。
コパンはホンジュラス西部、グアテマラとの国境近くにあって、グアテマラ側から訪れる観光客も多い。グアテマラの方が観光産業が発達しているし、グアテマラの熱帯雨林の中にあるティカル(Tikal)遺跡と対でコパンも訪れようとする人も少なくないからだろう。遺跡は午前中観光バスでやって来る団体が多くて大変な混雑するから、午後行った方がいい、とサンドラさんはお昼頃コパンに到着するスケジュールを組んでいた。
遺跡から1kmぐらいのところにコパン・ルイナス(Copan Ruinas:「コパン遺跡 」という意味)という名前の町がある。遺跡が観光客を引き寄せたことで出来上がったような小さな町で、訪問客が世界中からやって来るおかげで、コスモポリタンな雰囲気がある。ホンジュラスの他の町ではあまり見かけなかった三輪車のタクシーが、石畳の道路を走り回っている。ホテルの隣の部屋から、またレストランでは隣のテーブルから、フランス語やドイツ語、イギリス英語,アメリカ英語が聞こえて来る。不思議なもので、自分と同じような旅行者が周りに大勢いると、なんとなくのんびりした気分になる。現地の人に囲まれていると、心のどこかで緊張しているのだろうか。それが解けてくる感じがするのだ。
昼食後、遺跡へ行った。遺跡周辺が大きな公園になっている。入り口に日本政府の援助で建設中という博物館がある。とっくに完成予定日は過ぎているのに、いつ開館するのかわからないという。
遺跡の中では別々に行動することになったので、トーマスと私はまず「トンネル」へ行き、地下の廊下を進み、部屋の造りや壁の彫刻を見たりした。が、ガイドなしで、掲示もなく、有名な赤い彫刻を見て満足しただけで、すぐ地上に出てしまった。
コパン遺跡で有名なのは、紀元8世紀までの支配者たちの歴史を1250の象形文字で記録した72段の階段と、支配者たちの彫像石碑だ。それらが他の建物やボールコートと一緒に大きな広場に集まっている。大きいと言っても、その広場はユカタン半島のチチェン・イツァ(Chichen Itza)遺跡のような人を圧倒させる広さではなく、しかも芝生に覆われていて、優しい感じがする。ピラミッドもあるにはあるけれど、グアテマラのティカル遺跡のように壮大ではない。また、建物はユカタン半島のウシュマル(Uxmal)遺跡とはまるで比べ物にならない。
それでも私はコパン遺跡が大いに気に入った。こじんまりしている点ではチアパス州(メキシコ)のパレンケ(Palenque)遺跡と似ているけれど、お墓で有名なパレンケが完全に死者の場所という感じがするのに対して、コパンは何となくどこかが生きているように感じられる。立っている彫像石碑の表情が生き生きしているからだろうか。
彫像石碑はもともとは赤く塗られていたらしい。塗料がまだ表面にかなり残っている像もあり、それらは屋根をかぶせて保存が図られていた。優しい顔、悟りを開いたような平穏な顔、力を思い切り表して怖い仁王様のような顔、といろいろある。それだけ多種多様な支配者たちがいたということだろうが、表情豊かな彫像を1つ1つゆっくり眺めていくと、マヤ文明が栄えていた頃の雰囲気が伝わってくる。私は広場の端の高台に上って、周囲を高い樹木に囲まれた広場全体をしばらく眺めた。数少ない訪問者と彫像石碑の人物たちが共有しているその空間は、時間の違いが一緒くたに混ざり合ったように思える。座禅でも組みたいような、いつまでもそこにいたいような、そんな気分になった。
やがて管理人が広場にやって来て口笛を吹き、門の方を指差して、閉園時間になったことを告げた。すると、大きくて赤や青のカラフルなオウムの群れが一斉に広場に飛んできた。と、思うと、すぐUターンして、ゲートの方へ飛んで行った。まるで管理人に協力するかのようだ。門から出るときに、脇の塀に止まっているオウムを見て、オウムを管理人と一緒に仕事をするようにわざわざ訓練したのかと聞いたら、そんな訓練は一切していないと言う。エサをくれる管理人にただ付いて行っただけのことなのかもしれない。それでも、楽しい閉園通告だった。
ホテルまでの帰りの1kmを、トーマスは三輪車タクシーに乗ったけれど、私は道路に沿った散歩道を歩いた。コパンのおかげで、私は心身ともにすっきりしている。翌日の午後はカリブ海沿岸へ行く。その元気は十分養われたと思った。
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