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ホンジュラス(16)バナナ共和国 |
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2006年11月20日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 道路脇の中米らしい風景。民家の不思議な緑色はメキシコでも人気のある色で、多くの壁がこの色のペンキで塗られている。 |
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▲ テラの街を走る電線。これでよく間違えずに配電できるものだと感心させられる。 |
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[随分とご無沙汰してしまいました。前のホンジュラス報告はもう忘れられてしまったかもしれませんが、まだ続きがあるのです。間が抜けてしまいましたが、再開します。よろしく。]
マヤ遺跡のコパンで一泊した翌日の午前中は、近くのオウム養護園へ行った。もともとはコーヒー園で、丘の斜面に生い茂る大木の影にはコーヒーの木が並んでいる。そこに南米各地からペットとして連れて来られて病気になって飼い主の手に負えなくなった各種のオウムが集められ、治療を受けて元気になって住んでいるのだ。オウムも広い森林も手入れが行き届いていて、訪れただけで気分が休まるが、1人10ドルという入場料は地元庶民には高く過ぎる。コパンの遺跡にやって来た外国人観光客向けの、いわばエコツーリズムなのだろう。
コパンの町自体が外国人観光客相手のホテルやレストランやギフトショップやインターネットカフェで成り立っているが、それほど俗化していない。こじんまりしながらもコスモポリタンの雰囲気が漂って、コパンの遺跡と調和しているように感じた。でもそれは、観光客の数がたまたま少なかったからかもしれない。
お昼過ぎにコパンを出発し、1日半の中休みはこれでおしまい。リアリティツアー再開で、今度は北部カリブ海沿岸へと向かった。アフリカ系のガリフナ(Garifuna)の人々を訪れるためだ。
コパンから東に向かって工業都市サンペドロスーラをバイパスし、今度は南に向かう。道路の両側に工場が並んでいる。安い労働力を利用したマキラドーラ(maquiladora)と呼ばれる外国資本の組み立て専門の工場だ。サンペドロスーラから離れるに従って工場も少なくなり、水田が広がり始める。ホンジュラスは米作が盛んだ。いや、盛んだった。が、現在は北のアメリカから安いお米がどっと流入し、ホンジュラスの米作産業は大打撃を受けて瀕死寸前状態なのだ。作物は違うが、メキシコでもジャマイカでも同じような事態が起きている。
さらに南に下ると、水田に代わってバナナ園が続いて、ホンジュラスがかつて「バナナ共和国」(バナナ・リパブリック:Banana Republic)と呼ばれたことが思い起こされる。国の経済が外国資本に支配された農産物の限られた輸出に依存し、一握りの腐敗した裕福な支配層による独裁体制の小国を指したこの蔑称は、短編作家O・ヘンリーが100年ほど前に『キャベツと王様』(Cabbages and Kings)という物語の中で初めて使ったという。O・ヘンリーは明らかにホンジュラスを材料にこの物語を書いたのだったが、ホンジュラスというお国柄がバナナ共和国を生んだのではないし、ホンジュラスだけがバナナ共和国と呼ばれたわけでもない。バナナ共和国は、ユナイテッド果実会社(United Fruit Company)やスタンダード果実会社(Standard Fruit Company)というアメリカの巨大資本が広大な土地を所有し、産物出荷のために鉄道を支配し、経済を左右して政治を牛耳った結果であり、中米やカリブ海諸国の多くがそうなのだ。
たかが果実会社と軽く考えたら大間違いで、アメリカの果実会社は20世紀の中米諸国の政治を左右するほど力を持っていた。1910年には、クヤメル果実会社(Cuyamel Fruit)の人物がニューオーリーンズのギャングを雇ってホンジュラスにクーデターを起こし、果実会社に都合のいい条約を新政権から絞り出している。この人物は22年後にユナイテッド果実会社を乗っ取った。さらに、ユナイテッド果実会社はグアテマラでの利益保護のために、アメリカ政府を動かして1954年に左翼政権をクーデターで倒させ、その後の長いグアテマラ内戦の引き金となったほどなのだ。その後、ユナイテッド果実会社はチキータ(Chiquita)に、スタンダード果実会社はドール(Dole)に改名され、組織の再編成もされて現在に至っている。
南に下る道路が東西に延びる道路とT字型にぶつかる地点に、エルプログレソ(El Progreso)という町がある。「進歩」とか「前進」とかいう意味だが、そこはバナナ園労働者が労働条件向上を要求して労働組合結成に成功した歴史を持つ。それでこの地名が付いたのかどうかはわからないが、ホンジュラスの人々が黙って搾取を甘んじて来たのではないことが伺われる。
私たちはエルプログレソから東に向かった。今度は道路の両側にアブラヤシ(英語ではAfrican palmsという)の林が延々と続く。その面積はバナナ園の何十倍、いやもしかしたら何百倍にも見える。一様に大きな木から想像すると、植えられたのは30年ぐらい前ではないかと思われる。何という名前の会社がこんなに資本を投入したのか知らないが、やはり外国資本だろう。バナナからアブラヤシに切り替えられたのが多いという。
太陽が傾きかける頃、ようやくテラ(Tela)という海岸町に到着した。バナナ会社の根拠地として発展した町だ。会社の重役や従業員の住宅がまだ残っている。目的地のガリフナの町、トリウンフォ・デ・ラ・クルス(Triunfo de la Cruz)まであともうちょっとだが、テラでコーヒーを飲んで一休みしていくことにした。車から降りると、空気が生暖かい。カリブ海の空気だ。改めてホンジュラスの多様性が膚で感じられた。ここはもうガリフナ地域なのだ。
(註1)「バナナ・リパブリック」を日本語版ウィキペディアで検束すると、熱帯の雰囲気を漂わせた衣料チェーンのことしか出て来ない。「バナナ共和国」を検束すると、「ホンジュラス」が出て来て、そこに「政治経済をアメリカ資本のバナナ産業に依存してきたため、バナナ共和国とも呼ばれる」とある。
(註2)最近では「バナナ共和国」の意味は広がって、裕福な支配層の独裁的政治により貧富の差が激しい国を指すようになり、所得格差がますます広がっているアメリカもバナナ共和国ではないかという意見が飛び出したりしている。
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