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土地について考える |
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2003年6月26日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ 植物は正直。手をかけた分だけ応えてくれる。 (自宅庭で) |
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結婚したとき住んでいたのが仙台(団地)。その後、東京都・清瀬市(団地)→同・府中市(団地)→同・町田市(一戸建て新築)→神奈川県・葉山町(一戸建て新築)→米国ニューヨーク州チャパクア(一戸建て中古購入)→神奈川県・鎌倉市(賃貸アパート)→同・葉山町(中古一戸建て購入)。これがわが家の引越しの歴史である。
1回の人生で新築2回、中古購入2回、つまり一戸建てのマイホームを計4回購入したというのは、あまり聞いたことがない。あるひとは僕のことを[不動産転がし」と冷やかすが、転がしというのは転売による利益を目的とする行為だろう。僕の場合の転居は利殖行為とはまったく関係がない。現に「転がす」ことによって損はたくさんしたが、もうかったためしがない。衣食住のなかでなににいちばん興味があるかと問われれば僕は躊躇なく「住」と答える。つまり引越し自体が好きなのである。
4年前に無くなった父は生涯自分の家を持つことがなかった。転職を繰り返し(たぶん20回くらい職を変えたのではないかと思う)、転職に合わせ住居を変えた。その影響か、はたまたDNAか、僕自身ひとところに5年いると飽きてくる。町田、葉山、アメリカの家、そういえばいずれもちょうど5年住んだ。アメリカから帰って購入した今の葉山の家は、例外的に?すでに7年住んでいる。とうぜん引越し虫はうずきだしているが、残念ながら経済状況がそれを許さない。
町田にはじめて自分の家を建てたとき、当時勤めていた会社の先輩に「お前ももうおしまいだな」と言われ内心ズキリと来るものがあった。家を建てるということは守りの人生に入ることを意味するー無頼派の先輩は言外にそれを言いたかったのだろう。ところが僕自身の生き方は守りにはいるどころか、それいらい「攻め」一方だ。くだんの先輩はというと、その後社内でそれなりの「出世」をした。サラリーマンとしてうまく、または要領よく生きたのだと思う。無頼派と思っていた彼が、実は出世志向派で、若くして堅実の生き方に入ったと批判された僕が、無頼的な生き方をしている。人の生き方とはわからないものだ。
では僕にとって、土地を買い、その上に家を建てる、ということはいったい何を意味するのか。もとより天からの授かりものである土地に線を引き、その人為的な線で囲まれた平面を個人が私有する。虚しいものだな、と思う。地球の長い長い歴史の一瞬をわれわれは生きている。その一瞬のなかでひと坪がいくらの、ローンがどうのこうの、宇宙的視点でみるとなんと愚かしい行為であろう。
だからこそ、人々が土地や家にこだわる気持ち、つまりつまらぬ所有欲というものを揶揄してしまいたい気持ちが僕にはある。土地といえども、他の商品のごとく、こだわらず気楽に捨て、気にいったものに買い換えていく。死んだら、神様にお返しすればいい。そもそも地球の一部を自分だけのものしようなんて、根性がいけねえ。
ところがである。車で十分ほどの山の中に週末菜園を借りた。赤土で地味が悪く、うまく育たない。腐葉土を大量に鋤きこんで、地質改良してやらないとだめだ。相当な時間と労力を必要とする。しかし、その気が起きない。しょせん借り物ではないか、いずれは地主にお返しする土地だ。
いっぽうで土地を所有することの愚かしさ、虚しさを感じるのに、自分の所有物でない土地には愛情を感じない。これは大矛盾ではないか。子孫のために美田を残さず、と言ったのは西郷隆盛だったと思うが、僕もこの考えを持論にこれまで生きてきた。
しかし待てよ。自分の庭地の土質改良には喜びを感じるのに、借地にそれを感じない自分はなんだ。これはつまり、ぼくがつまらぬ、と言って唾棄してきた、その所有欲のなせるわざなのか。
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