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ホンジュラス(最終回)去る者,残る者 |
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2007年1月28日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ バスの運転手アスドゥルバルさんもアナフレが大好物。 |
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▲ 田舎町の貧しい民家では調理場が裏庭に面した外にあった。燃料は薪らしいが、雨が降ったらどうやって調理するんだろう。 |
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▲ 田舎町に必ずあるプルペリア(pulperia)。飲み物やスナック類を主とした万屋らしい。 |
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ホンジュラス最後の晩は、リアリティーツアーを引率してくれたサンドラさんのお誕生日だったので、彼女のお気に入りのクレープ専門レストランへ行った。ホンジュラス名物に、つぶした煮豆にチーズを混ぜて土器に入れて再び熱く煮込み、コーンチップですくって食べるアナフレ(Anafre)というのがある。お豆もチーズも大好きな私は大変に気に入ったのだけれど、ホンジュラスに住み着いているサンドラさんは、たまにはヨーロッパ系の料理を食べたいのだろう。
タクシーで、街の中心からちょっと離れた物静かな大通りの四つ角に建つレストランに着いた。ガラス張りなので、オーナーらしき中年女性がドアの鍵を開けててくれるのが見える。私たちが中に入ると、オーナーは再びドアに鍵をかけ、私がバッグを椅子の背に掛けると、椅子から簡単にはずせないように大きなピンで留めてくれた。レストラン内でのひったくり予防のためらしい。別の客がやって来ると、同じことが繰り返された。オーナーとシェフの夫婦はコロンビア出身だそうだが、近年はホンジュラスも危険な所になってしまったと嘆いていた。
食事が済んで外でタクシーを拾うつもりだったが、オーナーは外で立っていては危ないから電話で呼んであげると言った。 「ほら、ご覧なさい。たった携帯電話1個のために撃たれて半身不随になっちゃうんだから。まだまだ若いのに、可哀想に…」 そう言って、オーナーは車椅子の青年の写真付きの新聞記事を私たちに見せた。その青年は路上で携帯電話で話していたところを拳銃で撃たれ、携帯電話を盗まれたのだった。暴力に満ちたコロンビアから逃れて来たつもりが、同じような暴力に囲まれることになろうとは、オーナー夫婦は思ってもいなかっただろう。でも、すぐまた別の国へ移住するというわけにはいかず、少なくともしばらくはホンジュラスに留まっていなければならない。この人たちもいずれはアメリカに再移住できるのを待っているのだろうか。
サンペドロスーラの街は夜になると、それほど遅くなくてもシンとしてしまう。私たちはレストランからまっすぐホテルに戻った。
翌朝は6時前にホテルを出た。前の晩に予約しておいたタクシーは、ホテルの前にちゃんと待機していた。空港まで10ドルだと言っていた。ホテルのシャトルバスより安い。(ホンジュラスのタクシーにはメーターなどなく、乗り込む前に運賃を交渉しなくてはならない。 第三世界のほとんどの国ではそうだ。)
タクシーはお世辞にもピカピカとはいえないオンボロ寸前の車だが、きちんと手入れがしてあるようだった。60歳だという運転手は、5人の子持ちだとか。下の3人はまだ学校に通っているので、まだまだ頑張って働かなければ、と言った。 「ワイフの弟がアメリカに行っていて、仕事があるから来い来いって言うんですが、家族を置いてアメリカに行く気は全然ありませんよ」と、きっぱり言う。「親が遠くへ働きに行ったら、子どもの躾は誰がするんです。アメリカに出稼ぎに出たら、そりゃあ仕送りはたっぷりできるかもしれんが、子どもは好き勝手に育って家族は崩壊してしまう。そういう例をいっぱい知ってますよ。それじゃあ何の意味もない」 彼の上の2人の子どもは技術学校を卒業してきちんとした職に就いているが、まだ未婚なので、親子7人全員が1つ屋根の下に住んでいるという。運転手が熱っぽく語るのを聞きながら、この人は本当に家族のために一生懸命なんだな、と思った。若者の間にギャングの勢力が伸びている中で、家族をまとめていくのは大変なことだろう。また、アメリカに出稼ぎに出た人たちからの仕送りが外貨収入の大半を占めているホンジュラスで、家族と留まるのにも強い決意がいるに違いない。
この運転手さんは、調印されたばかりのカフタ(CAFTA=中米自由貿易協定)の発展でホンジュラスの経済が伸びてくれることを期待していると言った。さぁ、そううまくいくだろうか。12年前にナフタ(NAFTA=北米自由貿易協定)がアメリカ、カナダ、メキシコの3国間で調印され、メキシコ経済の発展が期待されたけれど、結果としてはアメリカの物資がメキシコの国内市場になだれ込み、メキシコの中産階層以上はいいけれど、零細生産者は太刀打ちできず、北へのメキシコ人出稼ぎ流出をかえって増加させることになってしまった。タクシーの運転業なら自由貿易のによってビジネスマンの往来が活発になって恩恵はあるかもしれないが、一般庶民はどうなるだろう。働き者で家族思いの運転手さんの話を聞きながら、私は複雑な想いにとらわれてしまった。
空港でチェックインを済ませ、出国手続きに向かう所で、出稼ぎに出るらしい人と見送る人々の前を通り過ぎた。がっしりした体格の男性が、見送りの人たちを1人1人抱きしめている。沈黙が漂っていて、誰も笑顔ではない。辛い別れのようだ。数歩進むと、別の一団がいて、同じようにがっしりした体格の若い男性が、同じ年頃の女性の肩に手を載せて、何かしきりに話している。俯いた女性の目からは涙がいっぱい流れていた。それでも小さく頷きながら聞いている。ガリフナの人たちだ。全く聞き覚えのない言葉の響きを耳にして、そう思った。私たちが訪れたガリフナ地域の人々はみなアフリカ系とすぐわかる容貌だったが、先住民やスペイン人との混血化が進むと、風貌はかなり違う。それでもガリフナの言葉は保ち続けているのだろう。ニューヨークにはガリフナ移民社会が形成されていて、出稼ぎの人たちもそれを頼ってアメリカに渡ると聞いていた。いま、目の前で家族に別れを告げている人たちもきっとそうなのだろう。
出稼ぎに出たら、家族は崩壊してしまう。そう言ったタクシーの運転手の言葉が、耳鳴りのように私に響いてきた。私の目の前で別れを惜しんでいるこの人たちの家族が、そんなことにならなければいいけれど…
<終わりに> ホンジュラスへのリアリティーツアーはたった10日間でしたが、これほど中身の濃い旅をしたことはありません。中米に関する勉強不足を痛感させられたと同時に、一生懸命に生きている人々から、中米から見たアメリカについてどっさり学ぶことができたと思っています。書き残したこともまだまだたくさんありますが、ホンジュラス報告は一応今回で終了します。
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