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縁の下のバイオリン弾き
131 イディオムということ
2016年11月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 鄭板橋(ていはんきょう、1693−1765)
「竹図」(1751) 節目の表現にご注目ください。
バルボア公園のアイルランド館でわれわれが毎日曜日の朝行っているアイリッシュ音楽のセッションは公開だ。公園をおとずれるだれもが音楽を聴くことができる。ありていにいえばわれわれは客寄せのパンダで、その目的のために小屋を自由に使わせてもらっているのだ。

その聴衆のなかには音楽の素養を持つ人も多く、なかには楽器を借り受けてちょっと弾いてみる、という人もいる。

ふだんヴァイオリンを人に貸したりしないのだけれど、プロの音楽家の場合は話が別だ。ある時はデトロイトだかのオーケストラのコンサートマスターだという女性が私のヴァイオリンを試してみて、「いい音がする」と言ってくれた。

このような場合、クラシックの音楽家は楽器をかなでることはするけれども、まとまった曲を弾く、ということはまずしない。というか、できないのだということを私は経験により知ることとなった。

われわれフォーク・ミュージシャンとクラシック・ミュージシャンの最大の違いは、彼らは楽譜を見ながら音楽を演奏する、ということだ。楽譜に書いてあることをそのとおりに演奏すればいい。そのために彼らは曲を覚える必要がない。

人前で弾くためには大変な練習が要求されるから、ほとんど曲を覚えこんでしまう、ということはあるだろう。でも万が一ある箇所を忘れてしまっても、目の前に楽譜があるのだから心配することはない。そのため大多数の音楽家は楽譜依存症だ。譜面がないと何も弾けないのだ。彼らは楽譜イコール音楽だと思っている。

クラシックからアイリッシュに転向したミュージシャンが一番困るのがこのことだ。楽譜さえあればいちおうそれらしい演奏ができるのだから、なぜ覚えなければならないのか理解できない。しかしそれでは音楽の魂が抜けてしまう。

それに次から次へとあたらしい曲が続けて演奏されるアイリッシュのセッションでいちいち楽譜をさがしていたらたちまち置いてきぼりをくう。楽譜にたよる音楽家はフォーク・ミュージックとは何か、ということがわかっていないのだ。

アイリッシュ・ミュージシャンは原則として楽譜を使わない。すべて頭に叩き込む。といってもたいていは短い曲だからそんなにむずかしいことではないのだが、大事なのはいついかなるときでも譜面にたよらない、ということだ。普通は一回に3曲ぐらいをそれぞれ3回ぐらい続けて弾くが、5曲から10曲ということもめずらしくない。かなりの記憶力を要求されるわけだ。

楽譜を使わないということは読めないということとは違う。われわれの仲間にも正確に読める人はたくさんいる。でもまったく読めず、オタマジャクシを見ると頭痛がする、という人もいる。クラシックの音楽家だったら天地を分けるようなこの違いにまったく差別がない、というところがフォーク・ミュージックのありがたさだ。

楽しそうだというので楽器を借りてみたはいいけれど、楽譜がないと何も弾けない、そういうクラシックの音楽家に私は同情するけれど、もともと音楽の成り立ちが違うのだから、こればかりはどうしようもない。

楽譜がなければ音楽ができないとは信じない。楽譜は演説の速記のようなもので、音楽の本当のニュアンスを伝えることはできない、と思っている。日本の音楽でもそうだが、間とかノリとかいう微妙な音楽の要素はどのようにがんばっても紙の上に再現できないのだ。

私自身がそのいい証拠で、40年近くやっているにもかかわらず、曲は弾けてもその真髄(しんずい)をものにしているかというと、まだまだ道は遠い。どこといって説明できないながら、本場のアイリッシュ・ミュージシャンにはおよばない。

けれどそこで立ち止まるわけにはいかないから、せっせと曲を覚えこむ。その際に助けになるのは、私が「イディオム」とよぶものだ。


イディオムとはもともと語学で使うことばだ。新しいことばを学ぶのに一番必要なのが「語彙(ごい)と文法」なんだけれど、そのつぎに大事なのがイディオムを覚えることだ。これは「慣用句」と訳されている。一つ一つの単語の意味がわかっても役に立たず、全体としてある特殊な意味をさすという文句をこういう。

たとえば「湯水のように金を使う」といえばむだづかいをすることだ。しかし、湯や水の意味がわかったって、それでこの文句の意味がわかるわけではない。水の豊富な日本では湯水は「ただ」「無価値」だ、ということがわからないと理解できない。水が日本とは比べものにならないぐらい貴重な場所(サハラ砂漠とか…サンディエゴとか)ではけっして成立しない言い回しだ。

英語でいうなら、たとえば Bite the bullet という言い方がある。直訳すると「弾丸を噛(か)む」ということになるのだが、それでは何のことかわからない。ものすごい速度で発射される弾丸を口で受け止められるはずがない。これは「やりたくはないけれど、どうしようもなくなった時に覚悟をきめて立ち向かう」という時に使う慣用句だ。

たくさん知っていればいろんな場合に応用できる。だからこれを覚えるということはことばを学ぶ上で有効だ。

その文化内ではだれもが使い、理解できる言い方だからしじゅう使っていると意識しなくても自然に口をついて出てくるようになる。


このような慣用句は音楽にも存在する。ことにアイリッシュのような伝統音楽では多用される。聴きくらべてみるとそれぞれ違う曲なのに、部分的に同じような曲調を持っているものがたくさん存在する。そのようにしておいたほうが「覚えやすい」からそうなっているのだ。

私たちはこれをてがかりにして何百という曲をものにする。まったく知らない曲を聴いても、その中にイディオムを発見して親近感を覚えるのだ。

クラシックの音楽家からはアイリッシュなどは原始的な音楽だ、とみなされる。そうにはちがいないが、それで音楽による楽しみが少なくなる、ということはない。むしろ楽譜にたよらなくていい分自由がある。同じ曲でもミュージシャンによってその演奏は千差万別となる。


私はこのイディオムということが美術についても言えると思っている。日本や中国の伝統絵画(現在のものはのぞく)はお手本を忠実にまねすることからはじまる。これは私には文法を理解し、語彙をふやし、慣用句を覚える過程と同じようなものだと思われる。

そのやり方が西洋のものとは違うと気がついた最初の日本人は1862年にヨーロッパに送られた使節団のメンバーのひとり、淵辺徳蔵(ふちべとくぞう)というさむらいだった。かれは画家でもあって、日記にこう書いている(ドナルド・キーン「続百代の過客」より。原文は古文)。

「扇子に絵を描いて同じ船の船客に贈った。西洋人が絵を描く時には簡単な絵でも時間がかかる。私が花鳥人物を苦もなく描くのをみてみなびっくりしていた」

西洋の絵画は20世紀になるまでは基本的に写実をもととしていた。だから一本の花を描くにもその実物を目の前において忠実にそれをうつさなければならなかった。淵辺が「時間がかかる」と言っているとおりだ。

西洋では自然が楽譜であり、それが読めなければ、それに頼らなければ絵が描けない。

そのために写真が発明された時、西洋絵画は存在の危機に直面した。いままで修練を重ねてきた写実が機械にとってかわられるように思われたからだ。それが新しい自然の見方を生み出し、印象派に代表されるそれまでにない芸術が生まれ、20世紀の抽象画に至ったのだ。

ところが東洋の芸術では現物を忠実に写す必要はもともとなかった。長年の修練により、どう絵を描くかということはもうわかっている。実際の草花がどうであろうとそんなことは関係ない。草花のエッセンスを描くのが「芸術」なのであって、写実などそれこそ枝葉末節だ。だから何も見なくてもすらすら絵が描ける。

これはイディオムの勝利だ。このことを中国では「胸中成竹(きょうちゅうのせいちく)」という。理想的な竹は自然にあるものではなく、心の中にあるのだ。

竹といえば、墨絵を学んだ人はご存知だが、竹の節々をさっと描いたあと、節目のところに凹型の印をつけるのが普通である。そんなものは自然にはない。しかしそれがあるといかにも竹だ、という感じがする。だから慣習になっている。つまりイディオムなのだ。

また蘭の花にはまんなかに点を三つつける。これもそうしたほうが蘭に見えるから、というだけの話だ。


ここから話は私の不得手な領分に分け入って行くわけなのだが、墨絵は書道からきている。字の上手な人はその骨法を絵にも応用する。というかそうやって中国の絵画は発展したのだ。

書道ぐらいイディオムで成り立っている芸術もないだろう。昔の名手が書いたものを忠実にまねすることがただ一つの練習法だ。字の配置から線の引き方、点の打ち方、ハネや止めの形にいたるまですべて模範がすでにあって、それをまねすることによって上達する。

デッサンとちがって、一度書いたものがうまくいかなかったからといって修正をほどこすわけにはいかない。のろのろと書くわけにもいかない。どうしてもある程度のスピードが要求される。

書道ではまず楷書に上達しなければならない。それから順に行書、草書と進む。行書はともかく、草書というものは楷書を崩したものではない。全く別の原理によって書かれるもので、たいへんむずかしい。けれど、早く書く必要から生まれたことはいうまでもないことで、それを可能にするものは修練あるのみだ。

その自由奔放な書き方が芸術的な感興をよびおこすから、草書の人気は高い。


これについて、つねづね疑問に思っていることがあるのでここに書いておきたい。書道をやる人の練習を見ていると、お手本が草書の場合でも、息をつめて時間をかけてゆっくりとそのお手本どおりに書く人が多い。

でもその草書の原本を書いた名人たちはもちろんさっさと書いたに決まっているのだ。そのために草書を書いているのだから。彼または彼女はイディオムにのっとって、自由自在な筆致で書いたのだと思う。それをまねするときに、徐々に、忠実にそのあとをなぞることは、私にはイディオムを使わずに楽譜を読んでいるのと同じように見える。しかしそういうやり方はそもそも草書の存在意義に反するのではないだろうか。たとえお手本とは少々違ってしまっても、イディオムを我がものにすることのほうが書の精神にかなっているのではないだろうか。

明らかに勢いで書いてある草書を、その筆のかすれまで再現しようとじっくりと時間をかけてまねして、それが完成したときにその書ははたして草書と呼べるのだろうか。

楽譜とイディオムの対立はすべての芸術に共通していると思うので、ご存知の方に教えを乞いたい。



(後記)
トップクラスのクラシックの音楽家は楽譜にたよらない。リンダと私が今年聴いた五嶋みどりのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は全曲暗譜で演奏された。これは難曲中の難曲で、最初この曲を捧げられたロシア一のヴァイオリニストが演奏するのを拒否した、といういわくつきのものだ。そんな難物をそらで弾きこなすのは神業(かみわざ)に近いと私などは思う。



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