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縁の下のバイオリン弾き
33 柴五郎とジョニー・ビーハン
2011年10月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 柴五郎
伊丹十三のことを覚えている人はどれぐらいいるだろうか。彼が1997年に亡くなった時は日本映画を代表する映画監督として国際的にも有名だった。

私は少年時代に彼の随筆「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」を読んで、いい意味でも悪い意味でも大きな影響を受けた。その後に書かれたエッセイも読んだけれども、この二著の影響ははかりがたい。

その後自分自身が外国に住むようになって、私は伊丹十三が外国のことについて書いていることの多くが誤りだと信じるようになった。それでも彼に対する尊敬は少しも減少しなかった。なぜなら、あの頃彼が書き残してくれなかったら消滅してしまったであろうその時代の気分を愛惜する気持ちが強いからだ。今でもことあるごとに「伊丹十三は正しかった」「いやまちがっていた」と自分自身に確認しているということにおどろきを感じている。

彼は英語に堪能(たんのう)だった。それは本当に使い物になる、立派な英語だった。そのことも私が彼を尊敬する原因だったかもしれない。

伊丹十三は監督になる前は俳優だった。そしてその英語力を買われて外国映画に出演した。1960年代、日本の俳優としてそれはめずらしいことだった。その映画の一本が1963年の「北京の55日」だ。

これはチャールトン・ヘストン主演のハリウッド映画だ。1900年(明治33年)の義和団の乱を主題としている。

義和団の乱というのは中国で起った排外運動である。当時中国は清朝(しんちょう)の末期で先進国からいいように食い物にされていた。日清戦争で日本に負けたのは5年前だ。不平等条約をおしつけられ、「眠る獅子」と言われていたのが「眠る豚」だとあざけられるまでになっていた。香港は英国にとられるし、上海は租界という治外法権の土地ができて、植民地も同様だった。英国は貿易の赤字を埋めるために阿片(あへん)を輸出して中国人を麻薬中毒にしてしまった。憤慨した中国の民衆が「義和団」という宗教カルトにあおられて不死身の幻想を抱き、愛国の熱情に燃えて外国人を襲撃しはじめた。

北京には各国の公使館が軒を連ねている。幸い壁にかこまれていたので襲撃にたまりかねた外国人たちはこの公使館地区に集合してたてこもった。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、ロシア、ベルギー、スペインそれに日本である。外国人だけでなく、中国人のキリスト教徒も攻撃の対象だったから合流した。外国人が900人あまり、中国人が3000人ほどであった。

清国政府は暴徒から外国人を守る責任があるはずだが、無謀にも軍隊をさしむけて公使館地区を攻撃した。万を数える軍隊に囲まれて公使館地区は風前のともしびだった。

この籠城(ろうじょう)が55日間続き、その間公使館地区の外国人は軍人、非軍人を問わず、みな銃をとって戦った。それで映画の題名を「北京の55日」というのである。食料も弾薬も医薬品もたりなかった。

理屈からいえば中国民衆の憤激はもっともである。しかし居留民を攻撃された欧米各国と日本が黙って見ているはずはない。最後にはベルギーとスペインを除く八カ国の連合軍が天津から到着して義和団を打ち破り、乱はおさまった。

映画はなにしろハリウッド製だから、アメリカ人のチャールトン・ヘストンだけが英雄みたいな描き方をしている。大がかりな製作にもかかわらず、つまらぬ映画だった。

伊丹十三はこの映画で北京駐在武官の柴(しば)五郎中佐(1860-1945)を演じた。実はこの柴五郎こそ、各国の軍人の総指揮官として55日を戦いきった功労者なのだ。彼の活躍は列国の称賛の的となり、その政府から勲章をさずけられた。欧米に広く名前を知られた最初の日本人となった。歴史に忠実であれば、中佐が映画の主人公になってもおかしくなかったのだけど、実際にはほとんど出番がない。

伊丹十三によれば監督のニコラス・レイの構想では中国人はもとより公使館地区に立てこもった外国人をすべてその国の俳優に演じさせるつもりだった。ところが最終的には米英の俳優をあてることになってしまった。その中で日本人の伊丹だけが最初の構想通りに柴中佐を演じることができた。

柴五郎は会津藩のさむらいの子に生まれた。明治維新の会津落城の時はまだ数え年10歳の子どもだった。祖母、母、兄嫁、姉、妹の五人はこの時自殺している。女はいくさのじゃまになるから、という理屈だ。

会津藩は敗戦後官軍に抵抗した罪で下北半島の斗南(となみ)というところに移された。

父と兄弟たちと移り住んだ斗南で彼は言語に絶した困苦を経験した。畑仕事をしようにも作物がなにもできないのだ。冬になっても畳も障子もないほったて小屋に住み、炊いたばかりのかゆがすぐに石のように凍ってしまうのをとかしてすすり、ふとんがないので炭俵(すみだわら)の中に寝た。はきものがなくいつもはだしだったので、厳寒の時節は凍傷にかからぬよう雪の上をはだしで走った、と自分で書いている。

「ここで死んでは薩長のやつらの笑い物になるばかりだ。だから死ぬな」と父に厳命されたそうだ。

2年ほどたってある人に見出されて青森県庁の給仕となった。その後東京に出て、はじめは大変な苦労をするが、やがて機会を得て、できたばかりの陸軍幼年学校に入学する。死にものぐるいで勉強する。

幕府軍の伝統を受け継いで明治政府もこのころはフランスを軍事の模範としていた。学校の教官はすべてフランス人、教科はすべてフランス語、かけ算の九九までフランス語だったそうだ。そのため柴はフランス語は上手になったが、日本語で(当時の漢文崩しの)文章を書くのは自信がないと晩年まで言っていた。
 
陸軍士官学校の砲兵科にすすみ、順調とはいえないまでも軍人として出世した。最後は陸軍大将になっている。薩長全盛の日本軍の中で会津出身者として異例のことだ。

悲しい事に彼は長生きをしすぎた。戦争のはじめから「このいくさは負けです」と予言していた第二次世界大戦の日本の敗戦をその目で見なければならなかった。敗戦から一ヶ月後切腹したのだが老齢のため果たせず、その傷がもとで数ヶ月後になくなったといわれている。

彼は中国人を尊敬し、中国人から尊敬された。籠城中に壁の外の中国人からずいぶん助けられたけれど、その人たちの名前を出しては売国奴ということになって本人に迷惑が及ぶからいえない、といっている。

また乱の後、各国軍が略奪に走ったのに彼は日本軍の軍紀を厳正にしてそれを許さなかった。会津落城の経験から負け組に同情をもっていた。

陸軍きっての中国通でありまた何度も英国に派遣されている。フランス語だけでなく英語も中国語もできた。だから寄り合い所帯の指揮がとれたのだ。国際派なのに武士の心根はゆるがなかった。私は彼のこの両極端なところにひかれる。



「北京の55日」の音楽を担当したのはディミトリ・ティオムキンだ。この人は生まれはロシアだが、ハリウッドの映画音楽作曲家として知る人ぞ知る名匠だ。「真昼の決闘」「ジャイアンツ」「アラモ」など、当時の映画の傾向を反映して西部劇関係のものが多い。

彼の傑作のひとつに「OK牧場の決斗」(1957年)という映画がある。バート・ランカスターとカーク・ダグラスの主演で、それぞれワイアット・アープとドク・ホリデイを演じた。「OK牧場の決斗」の原題は“Gunfight at the O.K. Corral”という。コラールとは馬や牛を一時的にいれておく町の中の囲いのことで牧場などでは全然ない。この決闘はアリゾナ州のトゥームストンという町の中でおこった事だ。ちょっとそのことについて書きたい。

ワイアット・アープ(1848-1929)は西部の「ヒーロー」たちの中でも特に有名だろう。保安官として生前から有名だったが、ギャンブラーでもあり山師(うそつきという意味ではありません。金鉱をさがしにアラスカまで行っているという本来の意味です)でもあった。

その盟友のドク・ホリデイはもともと歯医者だったので「ドク(ドクターの略)」とよばれていた。大酒飲みで肺病病みで銃をもたせたら危険きわまりないギャンブラーだった。

「O.K.コラールの決闘」は西部の歴史でもっとも有名だといわれる決闘だが、そういわれるわりには原因がはっきりしない。はっきりしている事はヴァージル、ワイアット、モーガンのアープ三兄弟とドク・ホリデイが地元のカウボーイ、クラントン一家と対立し、たった30秒ばかりの間拳銃を撃ち合ったということだ。クラントン側のうち3人が即死、ワイアットをのぞくアープ側の全員が負傷した。

この時ヴァージルはタウン・マーシャル(保安官と訳されるが警察署長と思えばよい)でワイアット、モーガン、ドクは保安官助手だった。だから法権力は彼らにあったのだが、クラントン側から起訴されて全員が殺人の疑いで逮捕され、裁判の結果無罪釈放されている。

アメリカの警察機構では町にも郡にも保安官がいる。この時トゥームストンのあるコチーズ郡の保安官(シェリフという)をつとめていたのがジョニー・ビーハン(1844-1912)という男だ。郡保安官は選挙で選ばれる。ワイアット・アープはこの職につきたいと思っていたからビーハンとはライバルの関係だった。しかもアープは決闘前にビーハンの恋人をうばったのだ。後にこの女性と結婚して死ぬまでつれそった。

ビーハンは当日惨劇を回避するためトゥームストンの路上で割って入ろうとしたがアープたちに無視された。

彼は選挙基盤がトゥームストン郊外の牧場主とカウボーイだったから、裁判ではクラントン側についた。

それでワイアット・アープを描いた映画に彼が出てくるときまって悪役である。反目していたのは事実だが実はどっちもどっちだという気がする。

これが1881年のことでワイアット・アープはトゥームストンにいづらくなり、カリフォルニアに行く。ガンファイターとしての経歴にもかかわらず彼は一度も負傷することなく、80歳でベッドの上で死んだ。

ジョニー・ビーハンはその後アリゾナで刑務所長などをしていたが、1900年には北京にいて、義和団の乱に公使館地区で籠城している。彼が何のために北京に行ったのかはあきらかではない。

公使館地区にいたのなら柴五郎中佐の指揮を受けたにちがいない。ワイルド・ウェストのシェリフをしていた人物だ。銃撃はお手の物だったろう。

19世紀のアメリカ西部というと世界の進展にまったくとりのこされた辺境だったと私などは思いがちなのだが、実はそんなことはない。外部との交流はけっこうあったのだ。西部の大規模な牧場にはイギリスの資本が入っていたし、いたる所に中国人の移民がいた。ヨーロッパからの移民はもちろんである。銃の名手アニー・オークリー(ミュージカル「アニーよ銃をとれ」の主人公)はロンドンでヴィクトリア女王に会っている。 水夫として上海に行っていたために「シャンハイ」だれそれというあだ名のついたガンマンが何人もいた。

北京の一画で日本のさむらいと西部のガンマンが肩をならべて公使館地区の防衛にあたったと考えるのは楽しい。伊丹十三がそんな映画をとってくれていたらよかったのに。


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