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縁の下のバイオリン弾き
37 ビスカイーノ
2011年12月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ セバスチャン・ビスカイーノ
1600年は関ヶ原の戦いがあった年だ。またイギリスではシェークスピアが活躍していた。その頃の話だ。メキシコにセバスチャン・ビスカイーノという冒険家・探検家がいた。スペイン生まれだが世界をまたにかけた船乗りだった。

私がビスカイーノの名前を始めて聞いたのは人名としてではなかった。それは砂漠の名前だった。

メキシコの太平洋岸にその国の右腕のように延びている長い半島がある。バハ・カリフォルニアといって、その土地の大部分が手つかずの自然を残しているめずらしい場所だ。

その半島を私は妻のリンダと何度もおとずれた。車を乗り入れた事もあったし、バスで旅行した事もある。半島の北から南までただ一本の舗装道路が通じている。ところどころに小さな町がある以外は巨岩怪石の連なる原野だ。

その半島のまん中よりちょっと南にビスカイーノ砂漠というところがある。地図にそういう名前でのっている。ところがそこに行ってみると見渡す限りの荒野に何百万本とも数知れないサボテンが生えている。行けども行けどもサボテンだ。それが何時間と続く。

何が砂漠だ。サボテンというものは密集して生えるものではないからそう呼ぶのはちょっとはばかられるけれど、これは実はサボテンの大森林ではないか。

それがビスカイーノという名前を聞いたはじめだ。だから地名として覚えたのだけれど、それからしばらくして私はこの名前が自分の住むサンディエゴに深い関係があるということを知った。

アメリカという国の都市を考えると誰の頭にもニューヨーク、シカゴ、ワシントン、ロサンジェルスなどの名前が浮かぶだろう。でもどこが一番古い都市か、ということになるとすぐに答えられる人は多くはないと思う。アメリカで一番古い都会はニューヨークでもワシントンでもなく、西部のニューメキシコ州の州都、サンタフェなのである(フロリダにセント・オーガスティンというもっと古い町があるが都市というほどの人口はない)。

どうしてそういうことになるのかというと、これはアメリカが戦争の結果メキシコから国土の三分の一をうばったからなのだ。メキシコはアメリカにくらべればはるかに古い国で、したがって辺境にも町を建設した。サンタフェは1607年に建設され、ずっとこのへんのメキシコ領の中心だった。しかし1846年から1848年にかけてのアメリカ・メキシコ戦争でアメリカは勝利をおさめ、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアなどの諸州を手に入れた(テキサスはその少し前に併合した)。それでサンタフェはアメリカ最古の都市になったわけだ。

サンディエゴもそのようなメキシコの都市として建設された。この港は1542年にポルトガル人ジュアン・ロドリゲス・カブリヨにより「発見」された(西洋人がはじめてここに来た、という意味)。その時「サンミゲル」(聖ミカエル)と名づけられたのだけれど、ただそういう名前を与えられただけで中央からあまりに遠いこの場所はほっておかれた。

それからちょうど60年後、1602年にセバスチャン・ビスカイーノが現在のアメリカ太平洋岸を探検した。植民地をつくるつもりだった。かれはサンミゲル港に入港し、ちょうどその日がサンディエゴ(聖ディエゴ)という聖人の祝日で、しかもこの聖人が自分の守護聖人だったので、以前の名前にとんちゃくなく、かってにこの港をサンディエゴと改名してしまった。それ以後この名前が定着して今にいたっている。町としての建設はずっとおくれて1769年だ。

ビスカイーノはサンディエゴに来る前にバハ・カリフォルニアを探検しているからそれで半島に「ビスカイーノ砂漠」が存在するわけだ。


セバスチャン・ビスカイーノは1548年にスペインで生まれた。若い時にメキシコ(当時はスペイン領)にわたり、さらにフィリピン(これも当時はスペイン領)に移って貿易にたずさわった。

マニラから黒潮に乗って日本の東を北上し、反転して現在のアメリカ西海岸にそって南下してメキシコのアカプルコにいたる航路が発見されていて、スペインは中国の物品をヨーロッパに輸出して莫大な利益をあげた。

スペインは新世界の大部分を領有し、メキシコから流れ込む銀を湯水のように使って勢力をのばした世界第一の大国だった。でも1588年にスペインのいわゆる無敵艦隊がイギリスに敗れたのがケチのつきはじめでだんだんに斜陽の帝国になっていく。

この大勝利の前まではイギリスはとてもスペインにはかなわないものと思われていた。だから宿敵スペインの国力を突き崩すためには何でもした。命知らずの船乗りにスペイン船を見たら攻撃勝手次第、と免許を与えた。正規の海軍ではないのでこれらの船はプライベティア(私的な掠奪船―りゃくだつせん―という意味)とよばれた。実態はエリザベス女王お墨つきの海賊だったのである。マニラ・アカプルコ間の貿易船(ガレオン船という)は金銀、茶、絹、香料など貴重な物品を満載していたので一番ねらわれた。

このガレオン船攻撃でもっとも有名なのが1587年のトーマス・カベンディッシュ(1560−1592)によるサンタアナ号の掠奪だ。サンタアナ号は600トンの船で当時のガレオン船の中でもけた違いの量と質の貿易品であふれていた。

カベンディッシュはこの時27歳、バハ・カリフォルニア半島の先端でサンタアナ号を待ち伏せし、逃げる敵を追いかけて大砲を放った。サンタアナは貿易品をすこしでもたくさん乗せられるように大砲を取り除いてあったので、小火器で応戦したが力及ばず降伏した。

カベンディッシュの船のほうが小さかったので、彼はとても積みきれないこの財宝を奪えるだけ奪い、あとは船もろとも焼き捨てた。サンタアナの乗員はバハ半島に上陸することを許された。

この船にビスカイーノは商人として乗り組んでいたのだ。無事アカプルコにつきさえすれば巨万の富を手中にすることが目前だったのに、イギリス人の海賊にやられてさぞ無念だっただろう。でも命まではとられなかったのが幸いだった。

カベンディッシュはこの後世界一周をはたしてエリザベス女王からナイトの位をさずけられたが、2回目の世界周航の途中32歳の若さでなくなった。

前述したようにビスカイーノはスペイン政府の命をうけて1602年にカリフォルニア沿岸を探検し、サンディエゴの名付け親になった。

その後彼はなんと日本に行くのである。

そのころフィリピンの臨時総督をしていたビベロという人がマニラから帰国の途中暴風雨にあって日本に漂着した。日本では厚遇され、メキシコと貿易をしたいと思っていた徳川家康と会見している。この人をメキシコに送り返し、かつ貿易を発足させるためにあらたに船が作られ日本の商人も乗り組んで太平洋をわたった。この船を設計・建造したのが家康のイギリス人の外交顧問、ウィリアム・アダムズ、日本名三浦按針だ(ジェームス・クラベルの小説「将軍」の主人公のモデル)。彼自身も日本に漂着した組で、もともと船乗りだったから造船はお手の物だった。この船はたったの120トンで、日本の船としてはじめて太平洋を横断した。

メキシコは日本との貿易に乗り気ではなかったが、家康に答礼のために大使を送った。その役目にえらばれたのがビスカイーノだった。彼は艦隊の司令官に任命されただけでなく、日本の近辺にあると想定されていた金銀島(金と銀を豊富に産出すると考えられた伝説上の島々)の探検もまかされた。

ビスカイーノは日本に到着すると将軍秀忠、大御所家康と会見した。貿易のためには日本の測量が必要だといって金銀島を探したけれどもちろんみつからなかった。それだけでなく、乗船が嵐のために破損してしまった。

そのころ仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね)は自身がメキシコ、スペインと貿易をしたいとおもっていたので使節を送ることにした。それが「慶長遣欧使節」として知られる支倉常長(はせくらつねなが、1571−1622)である。1613年、ビスカイーノとその一行は支倉の船(ビスカイーノが建造に協力した)に便乗してメキシコに帰った。その航海に3ヶ月かかっている。この使節団には航海にあかるい人間がいたわけではないので、太平洋横断はビスカイーノの力による所が大きかっただろうと思われる。

ビスカイーノはスペインからの大使で、支倉は日本の大使である。この二人が長い航海の間に通訳を介してどんな会話を交わしたのか私にはとても興味がある。

支倉常長はビスカイーノとはメキシコでわかれ、スペインに行き、国王フェリペ3世に会い、洗礼をうけてキリスト教徒になった。最後にはローマにいってローマ法王に謁見している。しかし彼が7年後に苦労して日本に帰った時には日本はすでにキリスト教を厳禁していただけでなく鎖国していてスペインとの通商など問題外だった。彼の渡欧は徒労に終わったのだ。しかし日本がヨーロッパに送った使節としては1582年に九州の大名が送ったいわゆる天正少年使節に次ぐものだった。

伊達政宗はなろうことなら自身が天下を取るつもりでいた。スペインと交渉したのもその力を借りたいと思っていたからだと推測されるが、その夢はかなわず、奥州の一大名として生涯を終えた。

ビスカイーノが日本に渡ったのが1611年だから今年で400年になる。

ビスカイーノはスペインに生まれ、メキシコに渡り、フィリピンに滞在し、日本を訪れた。家康に会い、伊達政宗の使節に同行した。当時のヨーロッパ人としてけた違いの行動力だと思う。

サンディエゴの海洋博物館になっているスター・オブ・インディア号という帆船にはビスカイーノの署名の写真がある。ビスカイーノといっても今ではサンディエゴの人々だって知らない忘れ去られた存在だけれど、私はそのサインを見て400年の昔にこれほど気宇壮大な人間がいた、という確かな証拠を見た気がした。

彼の乗っていたサンタアナ号を襲撃したトーマス・カベンディッシュはマゼランの世界周航についで世界一周を果たした。彼の業績はこののちイギリスが世界を制覇するのに大変な貢献を果たしただろう。

支倉常長はヨーロッパまで行ってその当時世界最高の国力を誇ったスペインと、ヨーロッパの精神世界を指導していたローマを見た。東北の田舎侍だった彼がヨーロッパを見てどんな感慨を抱いたかわれわれの想像を許さないものがある。

彼らはみな冒険者だった。コロンブスが発見した新世界がそれらの冒険者を生んだのだ。メキシコは長くその新世界の中心だった。

明治維新で日本が開国したとき、新政府の最大の問題は徳川幕府が欧米各国と結んだ不平等条約だった。日本に不利なこれら条約を改正しようと明治政府が努力している中、当時すでにスペインから独立していたメキシコは1888年(明治21年)、日本と完全に対等な条約を結んだ。明治政府がその後条約改正に成功したのはこのメキシコの支持がものをいったのだと伝えられる。
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