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59 サント・ヴィクトワール山 (La Montagne Sainte-Victoire)
2007年1月12日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
































サント・ヴィクトワール山 (La Montagne Sainte-Victoire)

南フランスの古都、エクス・アン・プロヴァンスの町の郊外に、サント・ヴィクトワール山という石灰岩質の山があります。標高は1000メートル余り。三角柱を横倒しにしたような形をしており、見る方角によって山の形が大きく変化します。この山は後期印象派の画家、ポール・セザンヌ (Paul Cezanne 1839 〜 1906) が繰り返し描いたことでたいへん有名な山です。セザンヌは、エクス・アン・プロヴァンスの出身でした。上の写真がそうです。上段が写真で、下段はセザンヌの作品の1枚です。

サント・ヴィクトワール、聖なる勝利という名前は、古代ローマの将軍マリウスがこの山すそで、北方の蛮族を打ち破った故事にちなんでいるとのことですが、セザンヌにとっては絵の最高のモチーフであったのでしょう。油絵だけでも様々な方角から40点以上は描いています。ちょうど葛飾北斎が <富嶽36景> で試みたようないろいろな技法の探求をしたのです。

セザンヌは今でこそ、印象派とその後のキュビズムを始め20世紀の絵画に大きな影響を与えた画家として、確固たる評価を得ていますが、生前は孤独な画家でした。故郷のエクスでも、またパリでも決して受け入れられたわけではなく、むしろ孤立した存在でした。生前はごく少数の人にしか評価されていなかったのです。

画家になることを許さなかった資産家の父と、父の死の直前に幸いにも和解することができ、多くの資産を相続したことは彼の芸術に少なからぬ影響を与えたと思われますが、それにしても、自分を理解しない社会に対して、やはり彼は根本的な不満を心の奥底に持っていたことでしょう。

自分よりは、はるかに凡庸な画家達が社会的な栄誉を受ける一方、自分の新しい絵画芸術は誰からも認められない。ならば自分を認めない社会とは、自ら決別する。そんな気持だったのだと思います。そして、パリから故郷に戻り、自分の芸術世界の構築のためにすべてを注ぎ込んだのです。でもこの故郷でも、彼は生前は受け入れられることはありませんでした。この段階で、父の資産の相続がなかったら、日々の生活のために、たとえば肖像画作家的な仕事もしなければならなかったと思いますが、この点が彼は幸運であったわけです。

セザンヌの生涯に、大きな影響を与えたもう1人の人物として、作家のエミール・ゾラがいます。中学生の時に、父親の仕事の関係でエクスに引っ越してきたゾラと親しくなったセザンヌは、その後ゾラと終生の友情を結んだのですが、彼との間にもひとつ事件が起きます。

セザンヌ47歳の1886年、ゾラがセザンヌをモデルにした小説 「制作」を発表しました。それは、挫折して自殺してしまう画家が主人公の小説でした。これに強い不快感を持ったセザンヌは、これをきっかけにゾラと絶交してしまうのです。先にパリへ出て、故郷からなかなか出ようとしなかったセザンヌを度々手紙で叱咤激励し、パリに呼び寄せて、画家としての道をつけたのは、親友ゾラでした。

晩年、自分よりも4年早く亡くなったゾラの訃報を受け取ったセザンヌは、長い時間うめくように泣いていた、という記録があります。少年時代、青年時代を通じてのゾラとの結びつきがどんなものであったのか、他人にははかり知れないものがあります。でもセザンヌには、芸術家、職人にありがちな頑固さと、不寛容さがあったのかも知れませんね。

私はかつて、この画家の絵がよく理解できず、印象派の画家の中では、むしろ嫌いなタイプの画家でした、作品の実物を見るまでは。その後彼の絵の実物をオルセー美術館その他で何年もかけて、たくさん見て、だんだん判ってきました、彼が偉大なる絵画の革命家であったということが。セザンヌ自身は、決して雄弁ではありませんでしたが、彼の絵はきちんと語っています。従来のルネッサンス以降の絵の書き方の根本を変えてしまったのは、この画家だということを。

従来の絵は、様々な技法はありましたが、全部ひとつの視点から見ていました。ところが、セザンヌが始めたのは、たとえばリンゴでも、ひとつの視点ではなく、上から見たり、横から見たり、斜めから見たりしたもの全部を、ひとつの画面に表現してしまおうという、まさに革命的なことでした。それは静かな革命でした。

まだ自身の絵がそれほど認められておらず、一時勉強のために出たパリから故郷に戻りながらも、そこでも孤立していたセザンヌですが、ちょうど作曲家のマーラーが、「いずれ私の時代が来る」 と言っていたように、ひそかな自信と自負心を次第に作り上げていたのだと思います。そうした内なる勝利感が <勝利> という山の名前に結びつき、エクスの町を見下ろす山に、自身の心情を同一化させていったのではないか? というふうに私は勝手に考えています。

1906年の秋、セザンヌはサント・ヴィクトワールを描いていてひどい夕立に遭いました。往路、馬車の御者とケンカをしたために迎えに来る馬車がなく、何時間も雨にうたれてしまいました。「絵を描きながら死にたい」と、よく口にしていたセザンヌは、その言葉通り、パレットを手にして倒れ、その1週間後に肺炎で亡くなりました。67才でした。

サント・ヴィクトワール山は、セザンヌの人生の最期まで 彼と深い縁があるモチーフでした。骨太なプロヴァンス人の革命的画家と石灰岩のどっしりした山、やっぱりよく似合います。

ついでですが、私がかつて愛読していた(今でも好きですが)アルセーヌ・ルパンの乳母の名前も、たしかヴィクトワールといいましたね。でも、これ関係ないですね!

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