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縁の下のバイオリン弾き
38 天使も踏むをおそれるところ
2011年12月12日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ハンク・ウィリアムス
この前日本に帰ったときにカントリー・ミュージックの研究家が書いた本を買って読んだ。そのなかに「アメリカの歌を聞いていると9という数字がよく出てくる。これにはなにかわけがあるにちがいないと思って調べてみた」と書いてあった。著者がその問題について書いている理由はどれも筋が通っていて、なるほどと思わせるものがあった。が、一番かんじんなことが書いてなかった。それは韻(いん)のことだ。

著者は9が出てくる歌の例をたくさんあげているのだが、そのひとつにハンク・ウィリアムスの「さびしい汽笛」という歌の最初の一節があった。

I was riding number 9
Headin’ south from Caroline

(おれは9番列車に乗って
 カロライナから南に向かってた)

文末のことばがどちらも「ナイン」「キャロライン」と「アイン」という音で終わっている。この共通した音を「韻」(いん)といい、このように作ることを「韻を踏む」(正確には「脚韻を踏む」)という。

ここに9(ナイン)という言葉が出てくるのはなによりもそのつぎの「キャロライン」(カロライナ州のこと)という言葉と韻を合わせるためだ。

歌い手が3番列車に乗っていようと7番列車に乗っていようと実はどうでもかまわない。汽車に乗っている、ということがわかればいいのだ。でも「ナイン」「キャロライン」と「アイン」の音を響かせることができれば歌の文句はそれだけ印象的になる。だから「9」なのだ。

突然ハンク・ウィリアムスなどといっても若い人は知らないだろう。この人は1953年の元旦に29歳でなくなったカントリー・ミュージックの歌手だ。手に負えないアルコール依存症で破滅型の人生を送った人だが、彼の書いた歌詞はすばらしい。短い生涯に130曲をこえるレコードを出し、その大部分を作詞作曲した。その遺産はカントリーの古典として揺るがぬ地位をしめ、世代をこえて熱狂的なファンを生んだ。歌詞は楽譜なしで詩の本としても出版されている。そのすべての曲が韻を踏んでいる。「さびしい汽笛」ももちろん例外ではない。そしてこれはハンクやカントリー・ミュージックに特有のことではない。

詩のことを「韻文」(いんぶん)という。普通の文章は「散文」だ。西洋や中国の詩には「韻」があるから「韻文」と呼ぶのだが、日本では看板にいつわりありで、韻はない。なぜかというと日本語の文末は「ます」とか「です/だ」で終わるか、あるいは「書く」「寝る」「する」となんでも「う」の音で終わる。何もしなくても韻を踏んだように同じ音がつづいてしまい、ちっともおもしろくない。工夫のしがいがないのだ。

だから日本語の韻文というと俳句は五七五、短歌は五七五七七というぐあいに音の数を決めてしまうのが約束だ。

どこの国でも詩は特別なもので、古典的な詩はあるきまった形をもっている。これを定型詩という。

英語では文末にどんなことばが来るかわからないから、これを操作して同じような音にそろえると調子がよくなる。

中国語でも同じだ。

孤身万里遊   孤身万里にあそび
寸心千古愁     寸心千古うれう

これは私が中国の詩のなかから見つけた詩句で、自分の名前万里がはいっているから気に入って座右の銘にしているものだ。誰の詩だか忘れてしまったが。

たったひとりで万里を旅し、ちいさな心のなかで千年の歴史のうつりかわりを悲しむ、というのが詩句の意味だ。これを頭から漢字音で読むと、

こしんばんりゆう
すんしんせんこしゅう

ということになり、この最後の「ゆう」と「しゅう」が「ゆう」という音で韻を踏んでいるわけだ。

それだけではない。これは対句(ついく)といって、わざわざ文章が対称になるようにつくってある。まず「孤身」は「たったひとり」という意味。これが「寸心」と対応している。心臓は一寸四方(およそ3センチ立方)ぐらいのサイズだとされていたので「寸心」というのだけれど、要するに心臓は小さいわけだ。「たったひとり」の「からだ」と「ちっぽけ」な「こころ」が孤身寸心なのだ。

万里と千古の対照はわかりやすい。数字で距離と歴史をあらわしている。「遊ぶ」と「愁う」はこのからだとこころが経験することをいう。

対句は英語の詩にもある。もっとも英語でも中国語でも詩の全体が対句になっているわけではない。ここぞという急所にこれを使うわけだ。

西欧や中国の伝統的な詩人はこういうものが詩だと思っているから詩を作る時にはもう本能的に対句的な見方をし、韻を踏むことを考える。

彼らにいわせれば俳句なんぞは詩ではない。「古池やかわず飛び込む水のおと」えっ、それでどうしたの?そんなのはよくいって詩を作るための断片でしかない。

古池やかわず飛び込む水のおと
新道やほこり舞い立つ窓のそと

というぐあいに対句仕立てにして韻を踏まない事には詩だとはうけとれないのである。

これを逆にいうと韻さえ踏んでいれば何を書こうが詩だ、ということになる。 詩とふつうの文章をわけるのはただ韻を踏んでいるかどうかなのだ。わびもさびもない。余情もへったくれもない。

日本ではこういう規則がないから七五調を使わないと決めたら、何をどうやれば詩になるかわからない。だから普通に書けば散文になるものを行分けしてそれを詩といっている。それを詩にするものは「詩情」なのである。しかしそんなものは何だかよくわからない。

小学生の時先生に「詩を書きなさい」といわれて困った経験をお持ちではないだろうか。「自分の目で見たこと、心の中の感情をすなおに書けば詩になるのですよ」などといわれなかっただろうか。

そんなことはうそっぱちだ。詩情は誰にでもあるのかもしれないが、それを何の訓練もなくあらわす事はできない。大人にだってできないのだから小学生にできるはずがない。論より証拠、俳句や短歌を作る人口は大変な数だが、そういう「定型詩」ではない詩を書く人があなたのまわりに何人いるだろうか。

西欧や中国の古典詩はそんな無理な要求をしない。極端にいえばただ韻さえ踏んでいれば詩として通る。五七五にそろえれば「俳句」だ「川柳」だ、と強弁できるのと同じだ。

歌は詩の一種だ。だから演歌の歌詞はおおむね七五調である。それと同じように西洋の歌はもうほとんどあたり前のように韻を踏む。正式な英語の「詩」ではもっといろいろな規則があるけれど、こと「歌詞」ということになれば韻を踏んでいるだけで十分だ。これがわかっていないと英語の歌のほとんどすべてが韻を踏んでいるという事実の意味がわからない。革新的、いや前衛的であるべき(と勝手に思いこんでいるのは私だけだろうか)ロックの歌詞だって韻を踏まないものをさがすほうがむずかしい。

実際に英語で歌を歌ってみるとわかるのだが、韻を踏んでいるということは詩のきまりだからというだけでそうなっているのではない。最初の行を歌っている間、次の行はなんて言うんだっけ、と考えなければならないが、韻を踏んでいる歌は覚えやすいのだ。この音で終わっているから次も同じような音で終わるはずだ、と考えれば次の行は自然に頭にのぼってくる。実はこのためにほとんどの歌が韻を踏んでいるのかもしれない。

ずいぶん昔のことになるが、サザン・オールスターズの桑田佳祐がはじめてソロ・レコードを出した時、私はそれを買って聞いた。

桑田は何をいっているのかよく分からない歌詞を書く人だ。はたしてこのレコードに入っている歌は悪夢にうなされたような、その気分はわかるけれど何が言いたいのかさっぱりわからないような歌ばかりだった。

それだけではない。彼はやたらに英語の歌詞を自作に入れるのだ。英語の入っていない歌はないといっていい。そうして、日本語にはあれほど破壊的なことをやっておきながら、英語になると急に伝統的になって韻を踏む、というか踏もうとしている。これはいったいどうしたことだ。

桑田は英語の歌には韻が必要だという事を承知しているのだ。彼が今までに聞いた本場のロックはみな韻を踏んでいるのだから無理もない。しかしそのめちゃくちゃな日本語の詞ときちんと韻を踏んでいる英語の詞とのあまりの落差にわたしはいうべきことばがなかった。

桑田は演歌みたいに七五調で歌を作りたくはないのだろう。でも七五調で歌詞を作るのがダサイのならば英語で韻を踏むのはダサクないのだろうか。

韻についてはアメリカ人もえらい苦労をするのである。私はあるフォークミュージックの大会で(これはアメリカでのこと)あるシンガーソングライターが、将来作詞者になりたいという人たちから質問攻めにあっているのを見た事がある。「韻はどうするんですか」というわけだ。「うーん、韻はむずかしいですねえ。でもあのボブ・ディランだってずいぶん苦しいことをやっていますから、まあそう固く考えなくてもいいんじゃないの」といっていた。しかし聴衆はあまり満足したようにはみえなかった。

昔、漢詩を作る人は韻のためにものすごい苦労をした。韻府という本があって、この漢字とこの漢字は韻を踏むということが一目でわかるしかけになっている。それは中国人のために書かれたもので、それを実際に中国語で発音してみれば韻を踏んでいる、ということはだれにもわかるはずなのだが、日本の漢詩人は中国語の音なんかてんでわからないのにもかかわらず、この字とこの字は韻を踏んでいる、と頭で丸覚えにして詩を作った。日本語で漢詩をよめば韻の響きなんかどこかに消し飛んでしまうのに。それでも中国で本物として通用する詩をつくりたいと願ってそんな努力をしたのだ。

英語には言葉の後の方から引く逆引き辞書というのがあって、これで韻をあわせることができる。

詩を書くものはまずこういった本を見て韻を踏む字を選んでから詩を書いたものである。そういう制約があっても優れた詩が書ける人が本物の詩人だったのだ。五七五の字数や季語に気をつかわねばならない俳句でいい句を作るのと同じ事だ。

自由律の俳句というものもあるけれど、あれを作るのは伝統的な俳句を作るよりはるかにむずかしいと思う。山頭火みたいな俳句がだれにでも作れるものではない。小学校の先生はそれがわかっていて生徒に詩を書かせているのだろうか。

日本語で(いわゆる「漢詩」でなく)韻を踏む詩は西欧の詩に影響されて明治時代に試みられたことがあるが成功しなかった。韻を踏まなければならない理由がまったくないのに無理して踏んだって成功するはずがない。しかも日本語で韻を踏もうとすると、「古池や」で私がやったようにギャグにしかならないのだ。

日本の漢詩人たちが自分では中国語で読めない字を丸覚えにしてむりやり韻を踏ませたその努力には頭がさがる。でもそうやっていつも「本物は海のかなたにある」と考えていたから彼らは和歌や俳句に太刀打ちできる日本人自身の詩を根付かせる事ができなかったのではないだろうか。

(追記)日本のラップ・ミュージックは韻を踏むというのでいくつか聴いてみたがどこがどう韻を踏んでいるのかさっぱりわからないのでなんとも言えない。
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