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僕の偏見紀行
128 南房総の空の下
2011年11月25日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ 寺の裏山にある樹木葬墓地。橋を渡った先の木の囲いの中。この区画は現在分譲中のため、埋葬された墓は未だ少ない。
▲ お寺では春秋2回、会費制の自由参加の食事会が開かれる。お寺は杉木立の奥の高台にある。この秋の食事会で付近の里山を散策する参加者たち。
▲ 食事会の献立表とその料理にあしらわれていた木の葉など。献立は住職の奥さんと付近の主婦達による手の込んだ精進料理。境内で採れたむかごの入ったご飯が美味しかった。
まだ僕が九州に住んでいた20数年前の2月下旬、それまで元気だった母が83才で病いのため亡くなった。その直後僕は東京本社への転勤内示を受けた。父は既にその数年前に亡くなっていた。

当時40才を過ぎて異動の時期を迎えていたぼくにとって、同居していた両親のことが気がかりだった。あたかもそれを察知したかのように母は逝ってしまった。このことは負い目のようにいつまでも僕の心に重く残った。

それから4月までの1ヶ月、葬儀とその後処理、引越しの準備であわただしい時間が過ぎた。小4と中2の息子2人を引き連れ家族4人でやっとの思いで引っ越した。その時お墓のことまでは考えるゆとりが無かった。

それから20数年瞬く間に時は過ぎ、気づいてみたら僕は千葉の田舎でリタイア生活に入っていた。子供2人も東京で就職し所帯をもった。これまで毎年法事や墓参、親戚との付き合いのため帰郷する生活が続いた。それは忙しくもあったし経済的負担も少なからずあった。しかしたまに会う姉達と墓参の後温泉へ出かけるのは楽しいものだった。

幸いに今は未だ僕も姉達も元気で、当分はこのかたちでの墓参が続けられるだろう。しかし先々はどうしたらいいのか気にかかる。このまま残して子供達に九州のお墓のお守りを任せるのも申し訳ない気がする。

いろいろ悩ん末、こちらに墓を移すことにした。ところがいざ手を付けてみると、ことはそう簡単ではなかった。墓の改葬にはまず所在地の役所の許可を取る必要がある。故郷の鳥栖市役所へ電話してみると墓地のことは環境対策課が担当だった。その係りの人は懐かしい鳥栖弁で親切に手続きを教えてくれた。

まず移設先の新しい墓地を準備し、その後改葬申請書を提出する。申請書には新たな墓地の場所、現在埋葬されている人の氏名及び続柄、没年などを記載する。さらに記載事項を証明するため、現在の墓地の管理者に確認印をもらい、関係者の戸籍謄本を添付してやっと提出する運びとなる。

我が家のお墓は父の代に、いくつかあった古いお墓を改葬して一つにまとめたものだった。僕が幼いころ、親戚一同が集まって田舎の古い墓地を掘り返したのをかすかに記憶している。だから現在のお墓にはかなりの数のご先祖様が埋葬されてはずだ。しかし僕も姉達も自分達の父母より昔のことはよく分からない。

そこで我が家の古い仏壇にあった過去帳を開いた。するとそこには古くは江戸時代まで遡る20名近い氏名が載っていた。古い年代は戒名だけで俗名や続柄がよく分からない。これ以上は戸籍謄本を調べる必要があった。

あらためて電話で相談した鳥栖の戸籍係りによると、古い記録を調べるには除籍謄本にあたる必要があるという。僕はその謄本を出来るだけ遡って出して欲しいと依頼した。

1週間ほどで謄本の束が届いた。日本の戸籍制度は大したものだ。古い記録が当時の書式のままデータベース化されている。それらの謄本を遡ると僕の5代前の先祖までたどり着いた。初めて知る我が家の歴史に、僕は気持ちが高ぶるのを感じた。

5代前の先祖は名前しか分からないが、4代前は文政5年、明治維新の40数年前、後の「佐賀縣基肄(きい)郡姫方村」で生まれている。そこからほど近い10数キロ北には、わが国が朝鮮半島で白村江の戦いに敗れた後、外敵の侵攻に備えて築かれた朝鮮式の山城、基肄城跡がある。

以下は僕の勝手な想像だが、九州北部のこのあたりは朝鮮半島や大陸との交流が盛んだったのだろう。もしかしたら我がご先祖は百済あたりから渡来してきた技術者だったかもしれない、あるいは朝廷での政争に敗れた亡命者だったかもしれない。僕は勝手な想像を楽しんだ。

初めて知る我が家の意外な歴史にも出会った。長男だと思い込んでいた僕の父が実は3男だった。除籍謄本によると父には僕の知る叔父伯母の他に、若くして亡くなった次兄と弟、さらに腹違いの長兄がいた。

この長兄のことは僕も姉達も全く知らなかった。父母が語ることも無かったし、親戚の集まりで話題になることも無かった。今はもう当時を知る親戚は誰もいない。今回あらためて年上の従兄にも尋ねたが何も知らないという。

3男である父は、結婚前に分家して実家を出ている。その数年後、祖父は隠居して長兄に家督を譲り、僕の父の戸籍に入った。そして祖母とともに父の家でその生涯を終えている。

どうしてそうなったのか、今では分からない。祖父や長兄そして父、それぞれに事情があったのだと思う。ただたくさんの幼子と老いた両親を抱え、若い父と母が苦労したであろうことは想像に難くない。

幼くして病いで亡くなったと聞かされていた、僕の兄と姉についても確認できた。僕には、今も健在な4人の姉の他に兄と姉がそれぞれ2人ずついた、僕は9人兄妹の末っ子だった。亡くなった4人の兄姉の享年はいずれも3才に満たない。

長男が生まれた昭和3年から僕が生まれた昭和20年までの10数年間に、父母は9人の子を授かり4名亡くしている。またその間に祖父母も相次いで亡くなり、時代は戦争の暗い影を落としていた。

知らないほうがよかったのでは、と思うこともあった。しかし父母はじめ先祖の苦労や悲しみは、その系譜に連なる者としてありのままに受け止め、理解することが先祖への供養なのだ、と僕はそう考えた。

過去帳や除籍謄本と格闘して書き上げた改葬申請書を持って、僕は10月中旬九州へ向かった。今回はいつもの気楽な帰郷とはちょっと違う。姉達や旧友たちとの再会に加え、役所やお寺など気の重いところへも行かねばならぬ。

久しぶりに会ったお寺の住職は、僕より若いはずなのに少し年老いて疲れて見えた。僕は事情を話し、墓を移すことへの理解を求めた。やむを得ないこととはいえ、お墓を移すということは僕自身にとっても、こちらに残る姉達にとっても淋しいことです、といった途端胸が詰まり僕は言葉を失った。

翌日、申請書に墓の管理者である地区長の印をもらい、それを市役所に提出、無事に許可を得た。その足で石材店へ行って改葬後のお墓の撤去工事を依頼する。これで厄介な手続きが完了した。

新しいお墓は南房総の地に求めた。南外房の大原漁港から内陸へ車で10分くらい入った山中の小さな寺の裏山にある墓地にした。我が家から車で田園風景の中を約1時間走ったあたりだ。まわりにはのどかな里山が広がっている。

ここに決めたのは、この墓地が樹木葬という自然葬であること及び寺の住職の人柄による。1000年も続く曹洞宗の古いお寺だが、この住職はボランティア活動家でもあり、長年アジアの恵まれない子供への支援活動を続けている。普段はくたびれた作務衣にサンダルという気取りの無い方だ。

また戒名とは本来仏弟子になったときに、仏道修行に励むために頂くものである、という考えから、出家したときにもらった戒名を本名にしたという人でもある。今年は従来の活動に加え、特に震災後の東北の支援活動にも忙しい。

ここに墓地を求めても檀家となる必要は無い。お寺の行事への参加は原則自由、仏教徒である必要も無い。無宗教でも構わない。本来仏教は自由な宗教だと考える僕は住職の考え方に共感した。

樹木葬は近年新しい墓地の形として聞くようになったが、岩手のお寺がその始まりらしい。住職はそのお寺を見学し、考えに共鳴して関東では初めてという樹木葬墓地をここに開いた。

もともとは住職が裏山の荒れてしまった杉の人工林を、昔の房総らしい里山に戻したい、と考えて行き着いたのが樹木葬だという。数年前から荒れた杉林を少しずつ開拓して墓地を開いてきた。

最近開いた新しい墓地には草地の中に未だ丈の低い若木が立っている。ペットと一緒に埋葬を希望する人専用の区画もある。いくつもある区画は、いずれも南向きの明るい台地の上に広がっている。これから100年後、この墓地は雑木林の広がる昔ながらの里山に戻っているだろう、と住職は嬉しそうに語る。

墓地はそれぞれ直径2mの円の中央に、好きな樹木を植え墓標とする。埋葬は遺骨を骨壷からさらしの布袋に移してその樹木の周りに行なう。こうすると文字通り土に還り、大自然と一体になれる。周りの草花や虫達と仲良く過ごすことができる。暗い墓石の下の壷より楽しい終の棲家になると思う。

自然に近い里山に戻すため、樹木はあらかじめ寺が決めた約4〜50種の、たとえばヒメコブシ・庭桜・ムクゲ・ヒメシャラなど、の中から選ぶことになる。墓地には墓標としての樹木と墓碑銘を記した小さな木製の立て札だけ、それ以外何も置かない。ただ周りに丈の低い草花を植えるのはかまわない。

今年の春頃からお墓移転のことを考え出し、新しい墓地を探した。新しい墓地が決まり移転の書類手続きが終わったのは秋も深まったころだった。新しい墓地にはこの12月に植樹する予定で住職と話している。我が家の樹木は草木に詳しい配偶者の意見でヒメコブシにした。来春の花の季節にご先祖の納骨をしたいと考えている。

この半年、房総半島の田舎を走り、九州へも何度か行き来して忙しい日々を過ごした。今まで房総に住みながら、訪れることが少なかった南房総大原方面の良さをあらためて知ることもできた。

大原の町にはなじみの魚屋さんができ、新鮮な地魚を求めて月に数度は通うようになった。付近には農産物の直販所も数軒あって、新鮮な季節の果物・野菜が格安で手に入る。これは、僕と一緒に南房総の空の下に引っ越すのを喜んでくれているご先祖様のお陰だろう、と思っている。
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90 マイ・センチメンタル・ジャーニー
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83 シルクロードの旅(6)国境越え
82 シルクロードの旅(5)ブハラ、深夜のトイレ
81 シルクロードの旅(4)ブハラへの道
80 シルクロードの旅(3)アレキサンダー大王が来た街
79 シルクロードの旅(2)青の都サマルカンド
78 シルクロードの旅(1)タシュケント到着
77 小笠原の旅(7)惜別
76 小笠原の旅(6)小笠原海洋センター
75 小笠原の旅(5)母島列島
74 小笠原の旅(4)宝石の島、南島
73 小笠原の旅(3)ザトウクジラの海
72 小笠原の旅(2)BONIN ISLANDS
71 小笠原の旅(1)波路はるかに
70 インド紀行(7)タージ・マハルの光と影
69 インド紀行(6)ガンジス川の夜明け
68 インド紀行(5)夜行寝台「ハウラー・カルカ・メイル・2311号」
67 インド紀行(4)ダージリン滞在
66 インド紀行(3)ダージリンへの道
65 インド紀行(2)コルカタにて
64 インド紀行(1)遠かったインド
63 暮れの浅草昼酒
62 雨の東北、芭蕉と紅葉旅
61 南会津の旅◆扮の尾瀬沼)
60 南会津の旅 弁愡浚村)
59 奥日光戦場ヶ原
58 スコットランド紀行(5)いくつかの思い出
57 スコットランド紀行(4)偉大なり、ピーター・ラビット
56 スコットランド紀行(3)ネス湖からスカイ島へ
55 スコットランド紀行(2)ウォールフラワー
54 スコットランド紀行(1)エジンバラ大学でお茶を
53 風に吹かれて八丈島(3)
52 風に吹かれて八丈島(2)
51 風に吹かれて八丈島(1)
50 イリオモテヤマネコに逢いたくて(4)
49 イリオモテヤマネコに逢いたくて(3)
48 イリオモテヤマネコに逢いたくて(2)
47 イリオモテヤマネコに逢いたくて(1)
46 秋空の下、いくつかの再会
45 白神の森の宝
44 挑戦!乗鞍岳
43 北東北ローカル線の旅 (4)津軽じょんがらの夜はふけて
42 北東北ローカル線の旅(3) 雨の下北恐山
41 北東北ローカル線の旅(2) うみねこレール
40 北東北ローカル線の旅(1) 春のうららのドリームライン
39 50年の時を超えて
38 知床の秋(2)、ウトロにて
37 知床の秋(1)、鮭遡上
36 風に吹かれて尾瀬ケ原
35 白神山地「ブナの学校」
34 初夏の山形、サクランボとそばの旅
33 ハワイ島滞在記(2)
32 ハワイ島滞在記(1)
31 春の予感、鹿沢(かざわ)高原にて
30 嗚呼!還暦大同窓会
29 年の暮れ、奥那須で想う
28 ラムネの湯「長湯温泉」はいいぞ
27 また「再会の時」道後温泉にて
26 大自然の力、姥湯温泉
25 知床の青いそら、光と風 その
24 知床の青いそら、光と風
23 春の東北ローカル線の旅
22 春の東北ローカル線の旅
21 春の東北ローカル線の旅
20 上海点描
19 やさしかったチェジュの人たち
18 さらば、災の年よ。
17 僕たちのセンチメンタルジャーニー
16 台風を避けて信州へ
15 青島印象記
14 よるべない孤独にみちた宿
13 海があまりに碧いのです
12 安曇野の光と水、そして高瀬川渓谷葛温泉
11 鞍馬山の向こうへ、大悲山峰定寺
10 雪の会津鉄道トロッコ列車の旅
9 初春初旅救急車
8 年の暮れ、峩々温泉再訪記
7 東北紅葉旅峩々温泉
6 蔦温泉、蔦沼、ブナの森
5 雨の幕川温泉再訪記
4 憧れのフルム-ン法師の湯
3 信州塩田平別所温泉
2 信州信濃路
1 東北紅葉雪見風呂
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