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サンドイッチの話(2)「O.J.シンプソンとハンバーガー」 |
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2012年5月1日 |
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 | 西村 万里 [にしむら・まさと]
1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。 |
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▲ マーシャ・クラーク |
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フロリダで起った黒人少年の射殺事件に関して、マーシャ・クラークがコメンテーターとしてテレビに出ていた。彼女はしょっちゅうテレビに出ているらしいのだが、私は全然見た事がない。実に久しぶりだったからなつかしかった。
といっても私は彼女を個人的に知っているわけではない。マーシャ・クラークはかの有名な「O.J.シンプソン殺人事件」(1994年)でO.J.シンプソンを訴追する検事をつとめた。
O.J.シンプソンはアメリカン・フットボールの大選手で引退してからはフットボールの解説者をつとめ、また映画俳優でもあった。アメリカでは知らぬ者はない人気者だった。
シンプソンは離婚した前妻ニコル・ブラウンとその友人のレストランのウェイターを殺したとして起訴された。ナイフで惨殺された二人の死体がハリウッド近くの彼女のマンションの前で発見されていた。シンプソンは彼女のマンションから車で5分ほどのところに住んでいた。
前妻と一緒に殺されたロン・ゴールドマンという青年はニコルがその晩食事をしたレストランのウェイターで、彼女がレストランに置き忘れたサングラスを返しにその家にむかったのだった。ゴールドマンは武器をもたない身で果敢に戦ったあとが顕著だった。検察局はシンプソンが殺人の現場に来合わせたゴールドマンを目撃者を消す目的で殺したのだろうと推理した。
殺されたのが二人とも白人で、シンプソンはアフリカ系アメリカ人つまり黒人だったから、この事件は「人種戦争」の様相を呈し、裁判は「世紀の裁判」と呼ばれた。
ロサンジェルス検察局はマーシャ・クラーク(白人女性)とクリス・ダーデン(黒人男性)という若い二人の検事に起訴を任せた。山のような状況証拠と巧みな推理で彼らは水ももらさぬ論陣を張った。
彼らが検事として選ばれたのは偶然ではなかっただろう。二人は優秀な検事だったには違いないが、それだけでなく、人種問題が大きな要素となることが予想される裁判で、ユダヤ系女性のクラークと黒人のダーデンを起用したのは検察局にしてみれば一種の切り札だった。
この裁判の2年前に起ったロサンジェルス大暴動は黒人青年を何の理由もなく袋だたきにした白人警官達が裁判で無罪になったことに端を発している。ロサンジェルス警察が黒人に偏見を抱いている、ということは黒人の間ではもう常識といってよかった。
したがって差別される側の黒人とユダヤ人のしかも女性を検事に起用することは「我々は人種問題で公正な判断をする事を誓う」という検察局の意思表示だったわけだ。
シンプソンは無罪を主張し、金に糸目をつけずに有名弁護士を何人もやとった。マイケル・ジャクソンの弁護をしたことでも知られるジョニー・コクラン(黒人)がリーダーとなり、現在セレブとして有名なキム・カーダシアンの父親であるロバート・カーダシアン、パトリシア・ハースト(アメリカの新聞王の娘で過激派に誘拐されたが彼らの主張に共鳴して革命戦士になった)を弁護したことで知られるF・リー・ベイリーのほか、犯罪鑑定の専門家も何人も雇われた。この弁護団は「ドリーム・チーム」(夢の弁護団)と呼ばれた。
どう考えてもシンプソンに勝ち目はないはずだった。ところが事件を担当したロサンジェルス警察の敏腕刑事が実はふだつきの人種偏見の持ち主であることが暴露されるに及んで風向きがおかしくなった。
黒人の警察に対する怨念は深かった。シンプソンはでっちあげの被害者だ、という弁護団の主張はがぜん説得力を持った。最後まで凶器が発見されなかったのも検察側の失態といえた。
ダーデンは現場に落ちていた血染めの手袋を法廷でシンプソンにはめてみるように要求した。シンプソンはそれを手にはめようとしたが、なんと小さすぎて手がはいらなかった。これは決定的な手落ちと言えた。警察がシンプソンを罪に陥れようとして手袋を故意に現場に置いたのだという心証を与えたからだ。血のために手袋が縮んだのかもしれない、という反論はすでに手遅れだった。
血液鑑定でシンプソンの血液が現場に残っていたと判明しても、捜査途中で警察がシンプソンの血液を証拠物件に塗り付けることは可能だったと言われるとそんな気もしてくる。
そして12人のうちの9人を黒人が占めた陪審員は無罪を宣告したのである。
この判決に対する反応は人種によって明確に分かれた。黒人は「正義は勝った」と考え、白人は「人種闘争のために裁判の公正が損なわれた」と考えた。
裁判が終わったあと、シンプソンは「真犯人の発見に全力をつくす」と声明を発表した。一方ロサンジェルス検察局は上告を放棄した。はじめから真犯人はシンプソンだとの確信は揺るがなかったのだから無理もない。敗北したマーシャ・クラークとクリス・ダーデンはほどなく検察局を辞職した。
アメリカ中をわかせたこの裁判を私は他のアメリカ人とおなじくテレビにくぎづけになって見た。そしてその途中で実にへんなことに疑問をおぼえたのだ。
シンプソンは殺人を犯したとされる時間には現場からすぐの自宅にいたと主張した。そのあと仕事のために飛行機にのってシカゴに行った。
殺人がおこる前にシンプソンはケイトー・ケイリンという居候(いそうろう)と一緒に車でマクドナルドに行き、ハンバーガーを買っている。
これが私には実に不思議だった。O.J.シンプソンは超有名人で大富豪である。ロサンジェルスの高級住宅街にプールやテニスコート付きの大邸宅を構えている。どんな高級レストランにいっても最高の席を準備され豪華な食事ができる人間だ。それがどうしてマクドナルドに行くのだろう。ハンバーガーが食べたければどこかのレストランからとりよせればいいではないか。あるいは人をやって買わせればいいではないか。
私はこの「謎」にいたく頭を悩ました。シンプソンはサンフランシスコ近辺、オークランドの貧しい家庭の出身だから、成功しても昔よく食べたハンバーガーの味が忘れられず、今でもそういうものを食べているのかと思ったりした。彼にとっては山海の珍味よりもマクドナルドのハンバーガーのほうがうまいと感じられるのかもしれないと想像した。
しかもシンプソンはわざわざ車でマクドナルドに行きながらそこで食べようとはせずテイクアウトにしている。もっとも彼ぐらいの有名人になるとマクドナルドで食べようとしたら人だかりができて大変だろうから無理はないようなものの、では家に帰って食べるのかというとそうではなく、ハンバーガーに手をつけようとしないケイトー・ケイリンを尻目に車中で食べている。
ファーストフードのテイクアウトというものは時間のない者が車の中で食べるものだ。そしてシンプソンは確かにその夜シカゴに行くことになってはいたのだけれど、まだ時間に余裕のある大金持ちがわざわざ車を駆ってマクドナルドに行き車中でかぶりつくというのがどうにも合点が行かない。
私はこれも、三つ子の魂百まで、というか、長い間の習慣が彼をこういう行動に駆り立てたのだと解釈した。つまり、彼にとってはマクドナルドのハンバーガーというものはもう反射的にテイクアウトにするもので、さしせまった用事がなくとも車の中で食べずにはいられないといったような…。
検事のマーシャ・クラークはさすがにこの点をみのがさなかった。彼女の意見ではこれはシンプソンのアリバイ工作が裏目に出たものだ、というのだ。前妻を殺す事を決心したシンプソンは犯罪決行の時刻が近づくにつれ,誰かの目に自分の姿をさらしておくことがアリバイとして必要だと感じた。そこでケイトー・ケイリンに自分は100ドル札しか持っていないからこまかいのを貸してくれといって20ドル借りる。口実は空港まで行くリムジンにチップが必要だから、というものだった。
これでアリバイ工作は終わったのに、食事に行くというシンプソンの思いもかけない事に、ケイトーがいっしょに行くと言い出した。入念な殺害計画を立てていたシンプソンにしてみれば、こんな男にいっしょに来られてレストランで食事をしたら、手持ちの犯行時間がなくなってしまう。といって今さら食事はやめだというのも変だ。追いつめられてマクドナルドのテイクアウトになった、というのだ。
なるほど、そう考えれば「時間のない者が車の中で食べるもの」というファーストフードのテイクアウトの定義にぴったりだ。しかも、タクシーの運転手に払うチップがないといってケイトーに20ドル借りたシンプソンは、マクドナルドに行って100ドルで代金を払えば借りなくても小銭ができるはずだったのだ。それなのに、ハンバーガーの代金をケイトーに払わせている。マーシャの推理はこの矛盾した行動を突いて見事だといえよう。
話のつじつまはあっているが、しかしよく考えてみると無理がある。何年もいっしょに暮らしているケイトーがふだんこういう場面でシンプソンがマクドナルドに行くか行かないか知らないはずがない。当然高級レストランに行くべき所を急にマクドナルドにし、その上車の中でハンバーガーを食べるとなると、それこそ異常行動と映っただろう。
シンプソンが無罪になったということはマーシャ・クラークの解釈が結果として否定されたということだ。O.J.シンプソンのような超有名人がマクドナルドのハンバーガーを食べても少しも不思議ではない、ということになったのだ。
ほんとにそうなのだろうか。長年アメリカに住んでいても私はアメリカ人の心性にまったく無知だったのだろうか。この疑問は今でも解けない。もう20年近くも前のことなのに、だれかれをつかまえて「おい、ほんとにそうなのか。それがふつうなのか」と聞きたいような気がしている。
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