1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
老舗の店頭から
65 オルナンの埋葬
2007年4月2日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。


オルナンの埋葬


絵画はなんと言いましても、現物を見るのが一番です。もちろん絵画に関する資料は今なら誰でも簡単に入手できますし、かなり精度の高い画像も現物の前に立たなくても目にすることは可能です。でもやはり現物が持つ迫力は、どんな優れた代替手段でも、かないっこありません。

その迫力のひとつの例が、絵画の大きさの実感です。上段の絵は、19世紀フランスの画家、ギュスターブ・クールベ (1819 〜 1877 Gustave Courbet) の作品で、「オルナンの埋葬 (Un Enterrement a Ornans 668cm × 315cm) と言います。たしかに資料には、縦 315cm、横 668cm と書いてあるのですが、それがどれほどのものかは、この絵の前に立たないと実感としてはわかりません。

この絵は現在オルセー美術館の地上階にドーン、といった雰囲気で展示されています。私も知識として持ってはいたのですが、最初に見た時の印象はやはり、「こんなに大きかったのか!」 というものでした。想像の2倍以上の大きさでした。何せ縦が3メートル以上、横が7メートル近いのですから、日本家屋風に言えば、面積は12畳敷きの部屋よりも大きいのです。

スイス国境に近いジュラ山脈に囲まれた山あいの町、オルナン出身のこの画家は、写実主義(リアリズム)の巨匠として絵画史に名を残していますが、彼の人生は実に苦しい闘いにつぐ闘いの連続でした。

オルナンの富裕な地主の家に生まれたクールベは、当初、法律を学ぶという名目でパリの大学に入ったのですが、よくあるように、その後自身の関心のおもむくままに画家に転じました。そして単なる画家としてだけではなく、7月王政から第2帝政期という、かなりうさんくさい時代を激しく告発するような急進的な思想と行動で、当時のアカデミーや富裕社会と終始対決したのです。

たとえば上段の絵は、クールベが30歳の時にパリから一時故郷に戻り、制作したものなのですが(1849年)、その当時の町の人々はそれこそ町をあげて制作を応援しました。町の名士を中心に、人々は競って現在パリで売り出し中の故郷の名家出身のこの画家のモデルになりたがったのです。合計46人のモデルは、もちろんモデル料などもらうこともなく、自発的に参加した町の人々でした。

ところが翌年絵が完成し、パリの官展(ル・サロン)に出品された時から、風向きが変わりました。パリでは人物が醜い、醜悪な絵だ、とさんざんな悪評を浴びたのです。当時支配的だった新古典派の画風では、題材を美化し、理想化するというのが一般的でした。クールベは、町の人々を決して醜く描いたのではないのです。ありのままに描いたのです。でも実はそのこと自体が当時としては革命的であったわけです。

それに加えて、オルナンなどという聞いたこともない田舎の町の、しかも無名の人の葬式を、ほとんど等身大の大きさに描いたことも、当時の人々にとっては極めて挑発的だったのです。ギリシャ神話とか、英雄の物語ならいざしらず、こんな田舎臭い、無名の題材をこんな大きな絵にした! と言って多くの人々は非難しました。「私はオルナンで死にたくない。この絵のように醜く描かれてしまうから。」と書いた美術評論家までいました。

でもこの絵をよく見てみると、46人の人物は、聖職者や名士、普通の人々が、それぞれの個性はありますが、たいへん平等に描かれているように思えます。つまり、人々を権威づけたり、序列をつけたり、理想化したりせずに、ありのままに平等に描いているのです。実はここにこそ、クールべの芸術の真骨頂があると私は思います。

パリでの悪評がやがてオルナンにも聞こえてくると、モデルになった町長や司祭、判事といった町の名士たちが立場を失い、怒り出しました。以後、クールベの話は町では大きな声では語れない気まずい話題になっていきました。

その後もクールベは、画家としてだけでなく、政治的にも急進性を増し、第2帝政の最後のパリ・コンミューンに参加し、帝政のシンボルだったパリのヴァンドーム広場の記念柱引き倒しに関与したとされて、一時投獄され、その後スイスに亡命しました。

パリ・コンミューンとは、1871年にわずか2ヶ月間でしたが、フランスに成立した、民衆によって打ち立てられた歴史上初めての革命政権のことです。短期間ではありましたが、その後の歴史に極めて大きな影響を残したできごとでした。クールベはこの運動に積極的に参加したのですが、この画家をよりよく理解するためにも、ちょっとこの歴史的事件をおさらいさせていただきますね。

第2帝政末期の1870年7月、皇帝ナポレオン3世は、帝国主義的覇権争いの中でプロイセンとの戦争(普仏戦争)を始めました。ナポレオン(1世)の甥を自負する彼は、権謀術数に長けてはいたのですが、たいした準備をすることもなく開戦に踏み切ったのです。案の定たちまちコテンパンに負け、おまけに自身もセダンの戦いで捕虜となり、帝政は崩壊、自身はイギリスに亡命せざるを得ませんでした。そしてその直後、1870年9月4日にフランスには臨時政府が設けられ、フランス第3共和制の成立が宣言されました。

普仏戦争そのものは、第3共和制臨時政府下で続行されましたが、パリを包囲されたフランスは、1871年1月28日に、プロイセンに対してついに正式に降伏しました。そして国民議会がプロイセン軍によって包囲されたパリを逃れて、はるか南西部のボルドーで招集され、降伏後の和平交渉を担う臨時政府が誕生したのです。

しかし、パリ包囲に対して抵抗し、最も大きな犠牲を払ったパリ市民達の多くはプロイセンに対する降伏を認めず、今度は勝手にパリを逃げ出して降伏した自国政府に対しても蜂起しました。それが1871年3月に成立した革命政府、パリ・コンミューンなのです。

1871年3月28日に、パリ市民の投票によりパリ・コミューンの成立が宣言され、以後5月20日までパリを統治することになったのですが、その間に、女性参政権の実現、児童夜間労働の禁止、政教分離などの革新的な政策が打ち出されました。現在ではいずれも当たり前のことですが、当時の社会環境では、こうした政策はまさに革命的なことでした。

でもヴェルサイユに置かれた第3共和制の臨時政府による攻撃と、プロイセン軍のパリ封鎖により、最終的には多くの犠牲者を出して革命政府は崩壊し、5月28日にパリは鎮圧されました。極めて短命ではありましたが、民衆によって歴史上初めて革命政権が打ち立てられたという事実は、その後の歴史に大きな影響を与えたことは間違いありません。

中段の写真は、パリの中心部、1区にあるヴァンドーム広場 (Place Vendome) です。中央にそびえている柱は、ナポレオンがアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍から奪った多量の大砲を溶かして鋳造し直して作ったものだそうです。広場そのものが、太陽王ルイ14世をたたえるために作られ、その後ナポレオン(1世)の戦勝記念塔が建てられたわけですから、まさにそれまでフランスを支配して来た権力の象徴的な広場であったわけです。

で、クールベはパリ・コンミューン成立中に、この塔を引き倒した首謀者の1人と後に指弾されたのです。事実は私にはわかりませんが、クールベの言動からすれば、善し悪しは別にして、彼ならやってもおかしくはないと思います。

とまあそんなわけで、オルナンの人々は、とくにブルジョア層は、すっかりクールベ嫌いになり、なんとクールベの名前が故郷で復権したのは、没後百年近く経ってからのことでした。伝統的な絵画観、人生観、社会観に真っ向から挑戦して、終生闘い続けた写実主義の巨匠クールベは、多少激しやすい人間ではあったようですが、私はこの画家に好感を持っています。こういう動きが社会を進歩させていくのは間違いないからです。権威に従順、自らの頭で考えることを放棄した社会など、退化はあっても進歩はありえないと思うからです。

最後にクールベらしい逸話をいつかご紹介させていただきますね。

下段の絵は、「こんにちは、クールベさん (Bonjour Monsieur Courbet)」 という1枚です。旅をして来た画家クールベを出迎えている、いわばスポンサーと画家本人の姿です。従者を連れて町外れまで出迎えたこの土地の名士らしい人物は、帽子をとって、丁寧に出迎えの挨拶をしています。それにひきかえ、クールベの方は、ふんぞり返っているように見えます。絵を買ってもらう画家が、普通、スポンサーに対してとる態度ではないように思えます。

でもこれは、クールベがこれほどにプライドが高かったとか、不遜な性格であったとかを意味するものではないように思えるのです。「オルナンの埋葬」の中でも明確に表現しているように、人間を権威や、経済力によって差別することなく、対等な存在であることをあえて強調して表現しているように思えます。買い手も売り手も、対等なのですよ。売るモノに相当の価値がありさえすれば、売り手は買ってくれる相手に対して、ペコペコすべきではないのですよ、という彼なりの宣言のような気がします。

それからもうひとつ。いかにもリアリズム(写実主義)画家らしい逸話です。ある人から天使を描いてくれと頼まれたクールベは、言い放ちました。「ええ、いいですとも、描いて差し上げましょう。どうぞ天使をここに連れてきてください。」

パリ・コンミューン崩壊後の1871年9月、クールベはナポレオン戦勝記念柱破壊の罪で逮捕されます。彼は身の潔白を主張しましたが、結局投獄されました。

翌1872年に刑期を終了し、一時オルナンの知人宅に身を寄せますが、その翌年、1873年にクールベの存在に不快感を持つ政府によって、税務関係で追求され、結局、スイスに亡命しました。ジュネーブ近くのレマン湖畔に住み、1877年に亡くなりました。

彼がスポンサーに宛てた手紙の中に、こんな文章があるのだそうです。

私の親愛なる友よ。
命ある限り私は唯一の奇跡を現実のものとしたい。

自分の主義から外れることなく、自分の信念に背くことなく、
自分の芸術に生きていきたい。

私の勇気に恐れをなし、心配してくれる友人たちに私はこう言う。

恐れるな! 世界中を旅すれば、私を理解してくれるひとが必ず見つかるはずさ!

なるほど、この画家らしい文章だと思います。亡命先で亡くなった時、彼の心に去来したのはどんなことだったのでしょうか? そんなことを想像しながら、もう一度左端の「オルナンの埋葬」をご覧ください。先ほどとは少し違って見えませんか? 
最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
NEW
老舗の店頭から
齋藤 恵
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
166 京都名刹めぐり その30 梨木神社 Part 2
165 京都名刹めぐり その30 梨木神社 Part 1
164 優れた作家の感受性のすごさ
163 「アウトドア般若心経」
162 紫紺の闇 (しこんのやみ)
161 言論を奪われ、異論を排除した時、戦争は止められなくなる。
160 法の精神(8月15日に際して)
159 戦争は、防衛を名目に始まる。
158 平泉 澄(きよし)
157 アンビグラム (Ambigram)
156 白虹事件
155 山崎と大山崎 その4 (ニッカウヰスキーと大山崎山荘 後編)
154 山崎と大山崎 その3 (ニッカウヰスキーと大山崎山荘 前編)
153 山崎と大山崎 その2 (大山崎山荘の誕生)
152 山崎と大山崎 その1
151 修学院離宮 Part 2
150 修学院離宮 Part 1
149 「漢詩のリズム」
148 最澄と空海 その3 (まとめ) 両雄並び立たず
147 最澄と空海 その2 薬子の変
146 最澄と空海 その1 還学生と留学生
145 桂離宮と豊臣秀吉
144 「漱石枕流」
143 忘れられない写真
142 松方コレクションと国立西洋美術館
141 カタロニア讃歌 (Homage to Catalonia)
140 「乱」と「変」
139 パナマ運河疑獄事件
138 水晶栓 (Le bouchon de cristal)
137 シュール・リー (sur lie)
136 「斉藤」、「斎藤」、「齊藤」、「齋藤」
135 宋靄齢・宋慶齢・宋美齢
134 マカオ今昔 その4 (最終回)
133 マカオ今昔 その3
132 マカオ今昔 その2
131 マカオ今昔 その1
130 四神(しじん)
129 森 恪 (読みにくい名前を、もう1件)
128 大給 恒
127 ローマの休日 (Roman Holiday)
126 ラファエル前派
125 京都名刹めぐり その29 大覚寺
124 京都名刹めぐり その28 金戒光明寺
123 京都名刹めぐり その27 清閑寺
122 京都名刹めぐり その26 山科の毘沙門堂
121 京都名刹めぐり その25  正伝寺と圓通寺の借景
120 BYO ワインクラブ
119 「懐石料理」と「会席料理」
118 ナイト・ホークス
117 景徳鎮・有田・マイセン
116 瑠璃光院の不思議
115 葭と葦 (永源寺にて)
114 「プラハの春」、「ベルリンの秋」、「ウィーンの冬」
113 アルクイユ (Arcueil)
112 カンパリ (CAMPARI)
111 耕論 「ミシュラン、おいでやす」
110 美術展作品の輸送について
109 エトルタの針は空洞か? 
108 「無縁社会」
107 秋艸道人
106 白毫寺(びゃくごうじ)
105 2人のラ・トゥール
104 ブラジリアン・マジック
102 ジュール・シュレ美術館の盗難事件
101 シャントルイユの「空」
100 白凛居へ行って参りました。
99 イコン異聞 (日本人イコン画家 山下りん)
98 新たな気持で
97 セザンヌ、その光と陰
96 「マキシミリアン」の謎解き
95 マキシミリアン (Maximilian)
94 土佐派
93 カトリーヌ & マリー
92 真珠の 「耳飾り」 と 「首飾り」
91 ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル
90 私と絵画
89 八点鐘 (はちてんしょう)
88 五山の送り火クイズ
87 白い送り火
86 春 (La Primavera)
85 カラバッジオ (Caravaggio)
84 一度は消えた画家
83 マニュエル・ゴドイ (Manuel Godoy)
82 フリーダ・カーロ (Frida Kahlo)
81 ジョージア・オキーフ (Georgia O’Keeffe)
80 ラ・リュッシュ (La Ruche)
79 マルディ・グラ (Mardi Gras)
78 接吻 (Der Kuss)
77 ワイエス
76 ラス・メニーナス (Las Meninas)
75 オールドホーム (The Old Home)
74 私と村 (Moi et le village)
73 メデューズの筏
72 破戒僧と尼僧
71 遠近法とパオロ・ウッチェルロ
70 オシュデ (The Hoschede)
69 アプサント (L’absinthe)
68 草上の昼食 (Le dejeuner sur l’herbe)
67 オランピア (Olympia)
66 ジオットとEU
65 オルナンの埋葬
64 フェルメールの魅力
63 レカミエ夫人の肖像
62 コタン小路
61 上七軒(かみひちけん)
60 祇園のお座敷便り その1
59 サント・ヴィクトワール山 (La Montagne Sainte-Victoire)
58 ワインのホワイト・ホース、シュヴァル・ブラン
57 京都花街概論
56 ネゴーシアン (negociant)
55 オノレ・ドーミエ (Honore Daumier) のカリカチュア
54 AOC
53 世田谷美術館へ出かけませんか?
52 シャトー・ラトゥール
51 セーヌ川をはさんで
50 グランド・ジャット島の日曜日の午後
49 ムートン・ロートシルト
48 ポール・デュラン−リュエル (Paul Durand-Ruel)
47 イケーム (Yquem)
46 タリスマン (Le talisman)
45 アリスカン (Les Alyscamps)
44 月と六ペンス (The Moon and Sixpence)
43 京都名刹めぐり その24 古知谷 阿弥陀寺
42 オルセー美術館にある方が模写なのです (ガシェ医師の肖像)
41 シャトー・マルゴー (Chateau Margaux) 本編
40 シャトー・マルゴー (Chateau Margaux) 前置き編
39 パリ市民とバリケード (barricade)
38 シャトー・ペトリュス (Chateau Petrus)
37 返却されなかった名画 <アルルの寝室>
36 真夏の夜のワインの夢 in ロンドン   
35 ヴィンセント・ファン・ゴッホとオーヴェールの教会
34 Ullage (アリッジ)
33 複雑な素朴派、アンリ・ルソー
32 フランス・ワイン通史 その2
31 フランス・ワイン通史 その1
30 風の花嫁
29 カナの婚礼
28 切り分けられた名画、ショパンとジョルジュ・サンド
27 「都会の踊り」 と 「田舎の踊り」
26 京都名刹めぐり その23 高台寺
25 京都名刹めぐり その22 法然院
24 京都名刹めぐり その21 平等院(宇治)
23 京都名刹めぐり その20 東福寺
22 京都名刹めぐり その19 泉涌寺
21 京都名刹めぐり その18 智積院
20 (突然ですが・・・)ドレフュス事件とエミール・ガレ
19 京都名刹めぐり その17 六波羅蜜寺
18 京都名刹めぐり その16 実相院
17 賀茂一族
16 京都名刹めぐり その15 正伝寺
15 京都名刹めぐり その14 六道珍皇寺
14 閑話休題 「I have a reservation.」 
13 京都名刹めぐり その13 狸谷山不動院
12 京都名刹めぐり その12 安井金比羅宮
11 京都名刹めぐり その11 圓光寺 (えんこうじ)
10 京都名刹めぐり その10 金福寺 (こんぷくじ)
9 京都名刹めぐり その9 東山大文字の火床はこうなっておりました。
8 京都名刹めぐり その8 五山の送り火異聞
7 京都名刹めぐり その7 大河内山荘
6 京都名刹めぐり その6 京都五山の送り火(大文字焼き)体験記
5 京都名刹めぐり その5 上賀茂神社の斎王代
4 京都名刹めぐり その4 祇王寺
3 京都名刹めぐり その3 光悦寺
2 京都名刹めぐり その2 善峯寺
1 京都名刹めぐり その1 西山光明寺
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 5 9 4 7 0 5
昨日の訪問者数0 3 6 6 2 本日の現在までの訪問者数0 3 2 8 3