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縁の下のバイオリン弾き
179 ズーム・セッション
2020年11月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ コロナ禍のため運動といっては散歩ぐらいしかできなくなった。散歩ルートにある家。


はや11月になり、今年もあとわずかという時期になってこの一年を振り返ってみると、コロナに振り回された年だった、ということができる。

悪いことは山ほどあるが、ではいいことは何一つなかったのかと言えば、私に限ってのことではあるけれど、そうでもなかったと言えることが一つある。それは音楽だ。


コロナのせいで人前で演奏することはなくなった。我々アイリッシュ・ミュージシャンにとっては人前とはすなわち酒場で演奏するいわゆるセッションにほかならない。酒場はまっさきに閉鎖になったから、したがってセッションもお休みということになった。

でも、今まで毎週集まって演奏していた者たちが、いくら上からのお達しだといっても、ウイルスに感染するのがこわいからといっても、急に音楽をやめてそれで安穏に日を暮らせるものではない。

音楽そのものに立った観点から言えば、聴衆がいようがいまいがそんなことはどうでもいい。音楽が与える喜びに沈潜して自分一人だけの精進(しょうじん)に励めばいいだけの話だ。

でも我々はそんな純粋な、理想的な音楽家ではないのですね。というより、実は山気たっぷり、人に聴いてもらいたいからこそ、わざわざ酒場まで出かけて行って、タダ酒(ただビール?)以外なんの得にもならないことをやっているのだ。私は何年も前に禁酒したから、そのタダ酒だって飲めないのだ。 

その聴衆は、クラシック音楽の、椅子に行儀よく座って、襟を正して静かに聞いてくれる人たちではない。飲み助どもが声高に交わす会話のために毎夜ひどい雑音、そのただなかで、アンプも通さずに生の音で勝負するのだ(アイリッシュはフォーク・ミュージックなので、建前としてエレクトリックは使わない)。

そうやって何年も過ごしてきたのだもの、その週に一回の喜びがなくなってしまうと寂しくて仕方がない。皮肉なことに、コロナのために空き時間がたっぷりあるから、古い曲を練習したり、新しい曲を覚えたりするのには何の支障もない。

1週間が経ち、2週間が経った。私は「無聊(ぶりょう)に苦しむ」という古い言葉を思い出したほどだった。何もすることがないから退屈で退屈で仕方がない、という意味だ。

そこへ、酒場セッションの主宰をしていたマイケルからメールが来た。ズームでセッションをしないか、という呼びかけだった。

ズームは在宅ワークの必要から、コロナ下の日本でもアメリカでも、いや世界中で一躍有名になった。でも私はそんなものがあることさえ知らなかった。スカイプは知っていたけれど、自分で使ったことはない。

マイケルによると、このセッションではみんなで合奏することはできない、ということだった。在宅演奏で、遠隔地を統合してのセッションだから、同じ曲を同じように演奏しても多少のズレが生じる。そこで、演奏するのは順番に一人きりにして、他の参加者はみなミュート(消音)にしてしまう。その操作はマイケルがやる。その一人きりの演奏を聴きながら、それに合わせて自宅で自分の楽器を演奏するのだという。

これではとてもセッションとは言えない。セッションでは独奏ということはめったにない。演奏者一人だけが知っている曲を弾くのでなければそれはできない。楽譜と言うものは曲を知らなくても弾くことを可能にするために存在するのだが、アイリッシュでは楽譜を使わない。でも大抵は誰かがその曲を知っていて、一緒に演奏する。断りも何もしない。ただ弾き出すだけだ。それが何度も繰り返されるうちに、他の参加者もみなその曲を学んで、いずれは全員での合奏ということになる。

それがセッションの醍醐味で、同じ曲を弾くということが共同体としてのアイデンティティを確認する。みんなとともに何かを作り上げるという喜びがある。でも指揮者がいるわけではないから、全員がテンポとリズムに気をつけて細心の注意を払って演奏しなければならない。

マイケルのズーム・セッションはどんなものか、やってみるまでは何とも言えなかった。でも私はその場で参加を決心した。何もないよりはマシだったからだ。

しかし最初は緊張しましたよ。画面には参加者の映像がうつる。地場のセッションと違い、見知らぬ人が混じっている。マイケルはせっかくズームでやるのだから、というわけでフェイスブックでセッションを宣伝したらしい。アメリカ西海岸のこのセッションに中西部や東部からの参加者がいる。後にはオーストラリアからの参加者も出た。画面に映る私の映像と名前だけから、「あんた日本から参加しているの?」と聞く者もいた。まあ、そう思う方が自然でしょうね。

こうなると狭いサンディエゴだけでやっているのとは訳が違う。これらの新顔がどの程度の水準なのかも未知数だ。そう思えば思うほど指が震えて、最初のセッションでの数曲はサンタンたる出来だった。ガックリ来た。

でもありがたいことに、だんだん慣れてくると逆に自信が出てきた。心配するほどのことはなかったのだ。仰ぎ見るような天才肌もいない代わり、箸にも棒にもかからないような下手な人もいなかった。つまりはどんぐりの背比べ、というところだ。


心にゆとりが出てくると、私はこのズーム・セッションのありがたさが身にしみた。曲を弾くのは私だけ、画面に音が流れるのは私のフィドル(バイオリン)だけなのだ。泣いても笑っても自分の力量だけが計られる。それはいやでも自分の音楽を直視させることになった。

これはオーケストラで音楽を弾いている人には驚かれるような話かもしれないが、アイリッシュ・セッションでやっている場合、結構いい加減なことをしても、それで通用してしまう。まず、ハーモニーということがない。我々は全員同じ曲を同じように「斉奏」している。だから一人が手を抜いても、全体にさほど影響はない。

しかしそれは逆に演奏者の進歩をはばむものでもある。それがてきめんに現れてしまうのが、演奏者の独奏だ。酒場ではめったに聴けないこの独奏をズームは毎週演奏者に強制するのだから、なまなかな気持ちではとてもやっていけない。

アイリッシュ音楽は比較的単純な音楽だ。でもやっているうちに最初はわからなかった深みがだんだんにその姿をあらわす。他のことはさておき、技術の面でその完成度を助けるのはエンベリッシュメントと呼ばれる、いわゆる装飾音だ。

装飾音というのは元々のメロディーにはない、美しく聞こえるようにするために付け加える音だ。クラシック音楽にもアイリッシュにもそれがある。しかもアイリッシュのエンベリッシュメントは独特で、クラシック音楽の感覚とは全く違う。

詳しくは説明できないけれど、私はこの装飾音の体系を自分のものにするために一方ならぬ苦労をした。名のあるアイリッシュの演奏家たちはもちろん卓越した技術の持ち主だ。その真髄を学び取るために彼らのレコードを聴き、自分でやってみて、とても及ばないと何度絶望したことか。

七転び八起き、年月はしかし私の演奏を聴くに堪えるものにした(と思う)。ところがセッションに行ってみると酒場の騒音のために装飾音などというデリケートなものはどこかに吹き飛んでしまう。それで常に不満を抱えて生きてきたのに、ズームでのセッションでは全員が私の演奏に注目してくれる。私の演奏は、初めて誰はばかるところなくその全貌をあらわすことができたのだ。これが喜ばずにいられようか。


また私には自分の選曲の問題がいつもつきまとっていた。セッションではどんな曲を弾くかということは奏者に任されている。でも全員が合奏したいというセッションの性質上、長い間には「人気の曲」というのがだんだん決まってくる。そういう曲をたくさん知っている人がセッションでは幅をきかせる。

私も若い頃はそういう曲を覚えることに血道をあげた。ところがどれだけ曲を覚えても、いつまで立ってもキリがない。「人の一生は重荷を負うて遠きを行くが如(ごと)し」と言う徳川家康の言葉が思いおこされた。

その一方、私は自分の好きな曲を、例え酒場で人気のある曲ではなくとも、偏愛する傾向があった。何と言おうと音楽は自分を表現するものである。好きでもない曲を覚えたって何の役に立つか。

特に私は酒場でじかに曲を覚えるよりもレコードから覚えることが多かったので、人の知らないようなレパートリーがどんどん溜(た)まって行った。

ここで私は矛盾の壁に激突する。私はもうすでにいい年だ。あと何年フィドルを演奏できるのかさえわからない。それなのに、私は酒場に行って自分の好きな曲を弾くのをためらってしまうのである。それは「みんなが一緒になって弾けるような曲を弾くことこそセッションだ」という考えが頭にあるからだ。

ちゅうちょして、そして私は何を弾くか。毎日家で弾いている好きな曲はないがしろにして、今ではめったに弾かない「人気の曲」を弾こうとするのだ。それが失敗に終わることもある。失敗するとはテンポが速くなりすぎたり、途中でポシャってしまったりすることだ。もう目も当てられない。

そんなことはやめて、自分に忠実に好きな曲を弾けばいいではないか、と思うのだが、それを実行すると大抵私一人で弾くことになる。セッションの他の連中は私の選曲を尊重して一応は聴いてくれるものの、何だか黙って苦虫を噛み潰したような顔をしている。本当は私の曲を喜んでいてくれるのかもしれないけれど、そんなことを言葉にしてくれる人はめったにいない。

酒場の不文律を意図して破っているように見えることを私は恐れる。かと言っていつもみんなが弾いている曲を弾いたって、もう何千回、何万回弾いたかわからないようなものだから、弾いている自分自身が飽き飽きしている。新しい血の導入がなければセッションの繁栄はない。

ところが、ズームのセッションでは私のこのような優柔不断は全く姿を消した。どのみち一人しか弾けないのだ。他の参加者はいやでも私の選曲を受け入れ、聴かなくてはならないのだ。たとえ気に入らなくとも、それは私のせいではない。

中途半端に皆に迎合して合奏することはもはや必要なくなった!新しい夜明けが訪れたのだ!

こうして私は毎回自分の好きな曲を弾くことができるようになった。いきおい新しい曲を紹介することも多い。セッションでは一回に少なくとも3曲ぐらいは弾くが、この半年、同じ曲を弾いたことはない。


アイリッシュ・セッションでは速いスピードの曲を大音量で弾くのが普通だ。酒場に足を踏み入れて、このスピードに接すると、いかにもアイリッシュ!という躍動感がある。第一酒場の喧騒に対抗するためにはそれしかない。

でも私は速い曲も弾く一方で、静かなゆっくりした曲調も愛する。以前はそのような静かな曲を独奏して、酒場中の鳴りをひそめさせたこともあったが、上述の合奏に対する要求から、なかなかその機会はなかった。今の私はためらうことなくそのようなゆるいテンポの曲を思う存分弾いている。それができるのが嬉しい。



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