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縁の下のバイオリン弾き
132 七人
2016年12月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 黒澤明
今年私がよかったと思うニュースの一つは黒澤明の「七人の侍」(1954)がデジタル・リマスターされたことだ。今作られたような鮮明な画面になってよみがえるそうだ。

私は日本語教師として過去の日本の名画を教室で見せた。「七人の侍」はなにしろ長すぎるので敬遠したが、小津安二郎の「東京物語」(1953)は何度も使った。これは英国映画協会が10年ごとに選出する「映画史上最高の作品」ベストテンで2012年に第一位に輝いたほどの傑作だ。世界一の映画なのだ。

ところがビデオで見るとそのあまりの古さにへきえきしてしまう。60年以上前の作品のことだからテンポがおそろしくのろい。それはしかたがないにしても、問題は見るにたえないほどの画質の劣化だ。画面に雨が降っているとか、暗すぎて登場人物が何をしているかわからないとか。

私はそれをひたすら古さのせいだと思っていた。戦後10年ぐらいのことなので、機材もフィルムも悪かったのだろうと考えていた。

ところが不思議なことにはアメリカ映画だと古い映画でも画質がいい。たとえば、「風と共に去りぬ」(1939)や「ローマの休日」(1954)など、今見ても全然古びていない。私にはなぜこんなにも違うのか、理由がわからなかった。

それがわかったのは実は今年である。松田美智子の「サムライ 評伝三船敏郎」(2014)という本に、『七人の侍」の 配給元の東宝がもとのプリントを新しくしたり、修復したりしなかったということが書かれている。ということは、外国ではリマスター(もとになるマスター・フィルムを新しくすること)がひんぱんに行われているのだろう。どうりでハリウッド映画は保存がいいはずだ。

今年になって「七人の侍」のリマスターが実現したということは、東宝が態度を変えたということだから、あまり非難はしたくないが、60年以上も何もしなかったのは確かに問題だと思う。


「七人の侍」は日本映画史上屈指の名作だ。しかし私はこの映画を日本で見ていなかった。それは何もふしぎなことではない。当時古い映画を見るのはたいへんむずかしく、テレビで再放映することもなかった。

見たのは香港でだった。どうして見ることができたのか、今はおぼえていない。その時には感激したけれど、それと同時に「ああ、これが『荒野の七人』の原作なのだ」と思って感慨もひとしおだった。

「荒野の七人」は原題をThe Magnificent Sevenという。「偉大な七人」というところか。1960年製作のハリウッド西部劇で「七人の侍」のリメイクだ。私はこれを日本で公開された時に見た。子供だったので、これが日本映画をもととしているとは知らなかった。手に汗にぎる痛快な西部劇だと単純に考えていた。

その「荒野の七人」が56年たって、今年リメイクされた。題名は同じThe Magnificent Seven で、日本でも「マグニフィセント・セブン」として公開されるらしい(長いのでこの稿では「セブン」と省略する)。「七人の侍」から数えると、62年がたっている。


「七人の侍」は野武士の略奪に苦しむ戦国時代の農民が、食い詰め者の武士の集団を雇って彼らに対抗する、という話だ。雇われた七人が全力をあげて村を守るうちに村人と同志的な連帯感を持つが、戦いが終わってみると結局勝利者は地にはいつくばって生きているこれら「百姓」たちだった、という農民賛歌だ。

この設定が黒澤映画のバックボーンとなっているのだが、「荒野の七人」ではこれをすなおにアメリカ西部に移し替えることができなかった。まず、アメリカには「さむらいと百姓」という階級差が存在しなかった。みな平等で、差があるのは金があるかないかだけだ。したがって盗賊に対抗しようと思えばみずから銃をとって戦えばいいのであり、力のあるものを雇う必要はない。

黒澤の原作では農民たちはいくじなしで臆病者で、でもしたたかな存在に描かれている。しかし1960年当時、アメリカの農民をいくじなしの臆病者にすることは、現実はどうであれ、映画として自殺行為だった。

アメリカ西部の農民はホロ馬車で大陸を横断した移住者だ。少なくとも建て前上は勇気のある開拓者でなければならなかった。

ではどうしたか。舞台をメキシコにもっていったのである。これはアメリカが伝統的にメキシコを見下してきた、ということが背景にある。現在でもメキシコからアメリカにやってくる不法移民はみな貧しく、摘発におびえ、だれもやらない農作業に従事する農民だ、というイメージがある。彼らならば勇敢なアメリカ人ガンマンに救いをもとめる弱虫の農民として適当ではないか。あきらかに人種差別の発想だが、難題の解決としてはうってつけの妙案だった。

農民を苦しめる野盗の存在もアメリカ映画では設定がむずかしい。どこの国でもそうなのだろうが、犯罪者を英雄に仕立て上げる傾向がある。弱いものいじめはそのイメージに反する。伝統的な西部劇ではアウトローは銀行強盗や列車強盗を働きはしても、かたぎの人々に迷惑をかける存在ではないのだ。

この映画の時代より後のことだが、今から100年前の1916年、メキシコ革命の一方の立役者パンチョ・ヴィヤはアメリカ政府に対する怨恨から国境をこえてニューメキシコ州のコロンバスを襲い、放火殺人を行った。そのため彼はアメリカでは以後「強盗」扱いになったから、メキシコにはそういう野盗がウヨウヨしていてもおかしくない、とアメリカ人の映画製作者は考えたのだろう。

村上春樹はこの映画に出てくるメキシコ人は片言の英語を話させられている、と文句をいっているが、じっさいにはそんなことはない。みなちゃんとした英語を話している。しかし、そんなことよりもずっと大きな問題が背景にあるのだ。

ロケ地と俳優を提供したメキシコ政府は当然この矛盾に気がついていた。でもメキシコ人の扱いが悪いからといってむげに撮影を断ってしまえば、棚からボタモチのハリウッドの金をのがしてしまう。

そこで、彼らは部分的に修正を要求してメキシコ人のメンツをたもつことにした。たとえば、「七人の侍」では農民たちは始めから「腹のへった侍」を雇うのであるが「荒野の七人」ではそうではない。最初自分たち自身で戦うつもりでアメリカに銃を買いに行くのだが、たまたま目撃した銃撃事件で早撃ちを見せたガンマンから「銃を買うより俺たちをやとわないか」と説得されることになっている。これならメキシコ人の顔が立つわけだ。

また農民はみなメキシコの伝統的な(ということになっている)白い野良着を着ているのだけど、これを汚してみすぼらしくしてしまうのを政府は禁じた。それで、ガンマンたちは炎天の下をかけまわって泥だらけの格好をしているのに、農民たちはしみひとつない清潔な服装をしている。話の上では貧乏なことはわかっているが、イメージとしてそれを直接画面に出されることにはがまんができなかったらしいのだ。(黒澤は農民を演ずる役者たちに衣装を着続けて泥だらけ、アカまみれにすることを命令した)。

おたがい苦心の妥協をして、やっと「階級差」を作り出し、黒澤の原作に近い設定にしたのだから、人種差別呼ばわりされては製作者も立つ瀬がないかもしれない。


しかし、「セブン」では舞台をメキシコにとることはしていない。それも当然で、現在ではメキシコ系のアメリカ人は大統領選挙の行方を左右するほどの力を持っている。差別丸出しの舞台設定をとるわけにはいかなかったのだということは理解できる。

舞台はアメリカの鉱山町。悪徳資本家と労働者の対立を描いている。しかし「荒野の七人」の監督がおそれたように、それではまるで筋が通らない。日本でいうならば、ある藩が強力な敵におびやかされたので、他藩の侍を用心棒にやとう、というような話だからだ。

町の人々はいったんは銃を手にして敵に対抗するのだが、主だった者を数人殺されてしまうとあわててやとわれガンマンに助けをもとめるのである。(現実にはこれは賢明な選択だけど、アメリカ映画にはそういう筋書きはない)。

階級や人種をこえた共感と連帯、という大きなテーマを生かすことは、差別的な設定の欠点をあがなってあまりあると思う。七人がメキシコに行かないのではその大事な連帯が生まれようがない。


「七人の侍」でも「荒野の七人」でも、七人の中の青年と村娘の恋愛が描かれる。

「七人の侍」では明日をも知れない命の瀬戸際に若い二人の恋が燃え上がる。しかし、激戦に勝ったあと、喜びに沸く村で田植えにはげむ村娘は恋人に見向きもしない。考えてみると階級の違うよそ者のやせ浪人と所帯を持ったところで彼女になんの展望も開けないことは明らかだ。彼女の強さが「農民の勝利」を無言のうちに示す印象的なシーンだ。

アメリカ映画ではどうもそういう結末にしてはすわりが悪いと感じられたのだろう。村娘がガンマンのチコに恋し、かれは最後になって彼女のひたむきな愛情に応(こた)えることになる。

この若者を演じるのがドイツ人(!)のホルスト・ブッフホルツだったせいで、私はかれを白人だとばかり信じ込んできた。だから最後にかれが村に残ろうとする決断を、とうていありえない絵空事だと思っていた。ガンひとすじに生きてきた男が、言葉も文化も違う外国でどうやって農民になれるだろう。

しかし、最近になってようやく誤りに気がついた。この若者はもともとメキシコ人と設定されていたのだ。名前のチコがそれをあらわす。小僧という意味のスペイン語で、あだ名にちがいないが、スペイン語だからメキシコ人だとわかってもよさそうなものだった。かれは自分が農民出身なのを恥じてガンマンをこころざしたけれど、その虚栄のむなしさをさとる。それならば村に帰って行くのもわかるし、黒澤の現実主義とは一味ちがったロマンチックな「農民賛歌」になってもいる。

ところが、「セブン」では村娘が登場せず、恋愛ざたはまったくけずられてしまった。舞台はアメリカ国内でそもそも農民がいないのだから、「階級をこえた」恋愛の動機もドラマも成り立たなかったのだろう。

それでアクションだけの映画に終わってしまっている。うそにも黒澤の原作映画の精神を受け継いでいなければならないはずなのに。


しかもやとわれる七人の頭目株が黒人、そのほかに出自の知れない東洋人(演じているのは韓国人のイ・ビョンホン)、メキシコ人、インディアンが加わる 。白人ばかりで映画を作るのはまずいと思ったのだろうが、人種差別のはげしかった19世紀のアメリカ西部の現実をまったく無視している。

当時の西部にはもちろんこれらの少数民族が生きていた。彼らをその正当な歴史的役割において評価し直すのは大切なことだ。しかしこの映画ではただ頭数(あたまかず)をならべただけで、描写は紋切り型に終わり、なんの新味も出していない。それではかえって少数民族に礼を失することになりはしないか。

「セブン」は彼らにいい顔をしながらも、「一匹狼(たち)の物語」という伝統的なハリウッド西部劇に先祖返りしてしまった。それは「力への信仰」である。だから、「勝ったのは俺たちじゃない、百姓だ」というセリフもない。


今のアメリカの問題は経済格差と人種だ。「セブン」がはからずも現在のアメリカの政治状況を皮肉っているように見えてしまうのは私だけではないと思う。

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