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縁の下のバイオリン弾き
160 ジャシンダ・アーダーン
2019年4月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
3月15日に起こったニュージーランド、クライストチャーチのモスク襲撃事件は当初なんともやりきれない気持にさせた。でも38歳の女性首相、ジャシンダ・アーダーンの行動と言葉によって、救われた気がした。

オーストラリア人の白人優越主義者がイスラム移民を殺す目的で二つのモスクを襲い、五十人を殺し、五十人に重軽傷を負わせた、まごうかたなきテロ行為だった。

彼はネットを通じて70ページ以上に上る声明文を発表しただけでなく、襲撃中の模様を中継したのである。

ヨーロッパを旅行してイスラム人口の多いことに驚き、それを白人社会に対しての脅威ととらえ、これに対する反撃という意味でテロを実行したのだった。

くりかえすが彼はオーストラリア人である。ヨーロッパに住んでいるわけではない。テロの悪に軽重があるわけはないが、自国オーストラリアでテロを起こすのならまだしも、隣国ニュージーランドまで出かけて行ってそこの移民・難民を殺すとは何かが狂っているとしか言いようがない。


ニュージーランドというとボストンで知り合ったニュージーランドの友人を思い出す。彼はニュージーランドがいかに美しいところかということを力説した後で、「でもあそこはどこでもない場所のまんまん中なんだ」と嘆いていた。ニュージーランドというとそのmiddle of nowhereという言葉をきっと思い出す。「忘れられた場所」「何の取り柄もない場所」という意味だろう。当時はそのぐらい地の果て、という感じの国だった。

しかしだからこそ、平和な国だ、という印象は強い。隣の国といがみ合っている他の国々と違い、南太平洋に隔絶された島国だ。今回の事件が歴史上最悪の殺人事件だということだ。

犠牲者の中には1年前にシリアから逃れて来た難民の親子がいた。子供は4歳である。戦火の地を逃れて、やっと平和な国にたどり着いたのに、その幸福は長続きしなかった。彼らの運命は考えるだけでも痛ましい。


アーダーン首相はすぐにクライストチャーチに飛び、犠牲者の家族をなぐさめた。黒い服に黒いヒジャブ(スカーフ)をつけて一人一人抱きしめる映像は世界中の賞賛を博した。

彼女は断固として犯人の名前を口にせず、声明文を無視した。殺しの映像をソーシャル・メディアから消去するよう呼びかけた。自動小銃を全面的に禁止すると発表した。イスラム教徒への連帯の印として、アザン(祈りへの呼びかけ)を国中に流した。

アメリカ合衆国の政治家が実行できないでいることばかりだ。

多くの非イスラム女性が彼女にならってヒジャブをつけた。

3月29日には事件の犠牲者への追悼式典があった。彼女はニュージーランド人が奮い立たずにはいられないような感動的なスピーチをした。

「形容できない悲劇に対して私たちはなんと言うことができるでしょうか。その言葉はありません。そう思って私はここに来ました。でも私は簡単な挨拶をされたのです。『アッサラーム・アライクム』、あなたに平安あれ、と。

この言葉を私にかけてくれた人々は、憎悪と暴力の標的にされ、怒りに駆られて当然であるのに、共に悲しむために私たちにドアを開けてくれたのでした。

我々は花をささげ、歌を歌い、抱き合いました。私たちが言葉を失っても、あなた方の言葉は聞こえたのです。それは我々を謙虚にさせ、一つにさせました。

この2週間、話を聞きました。それは勇気の話でした。ここで生まれ、育った人たちの、あるいはニュージーランドを自分と家族のための新しい母国と定めた人たちの。それらは私たちの記憶、彼らは私たちなのです。

記憶は責任を伴います。この土地を我々が望む土地、多様な、暖かく迎え入れてくれる、優しくて心のこもった土地にする責任です。それこそが私たちの最高の価値なのです。

我々は人種差別を拒絶します。信教の自由を損なうものを拒否します。暴力を排除します。この2週間、あなた方は行動を通じてそのことをはっきり示してくださいました。(中略)我々は憎悪やら恐怖やらから無縁であることはできません。でもその治療薬を発見する国になろうではありませんか(後略)」



私は同じような事件を身近に経験したことがある。20年前の夏、インディアナ州ブルーミントンのインディアナ大学で夏期講習の日本語主任をしていた。この夏期講習は日本語、中国語、韓国語の集中講義で生徒には雑多な人種が混ざっていたが、日本語の生徒には特に中国人と韓国人が多かった。彼らが日本語のクラスを取るのは漢字や文法の点で有利だと思われていたからだ。

そこに降って湧いたようにテロリスト事件が持ち上がった。白人優越主義者の元学生がイリノイ州と、それに隣り合うインディアナ州を車で駆け抜けながら無差別の殺傷事件を起こしたのだ。我々のキャンパスのすぐ隣にある韓国人教会で、日曜の礼拝を終えた一人の韓国人大学院生が撃たれて死亡した。他の場所では黒人牧師がやはり撃たれて死亡した。

そのニュースが伝わると我々講師はすぐさま学校を閉鎖し、学生を外に出さないようにした。ただでさえアジア人の生徒は目立つのに、それが十何人も群れていれば格好の標的だ。

どこに銃を持った殺人鬼が潜んでいるかわからないというおそれは経験したものでなければわからない。我々はじっと校舎の中で息を潜めている他はなかった。自身のことよりも、ただただ学生の身の上が心配だった。

何時間か経って、犯人は警察に追われた挙句、自分の銃で自殺したというニュースがラジオから流れた。あの時ぐらいほっとしたことはない。


トランプ大統領の登場で人種関係は悪化した。特に問題になっているのが、2017年にバージニア州シャーロッツビルで起きた人種事件に対するコメントだ。これは白人優越主義者とそれに反対する団体がデモをする間に緊張が高まり、暴動になった事件だ。優越主義者が車で反対デモに突入し、女性を一人ひき殺している。

白人優越主義者は非白人すべてを敵とみなすのだが、彼らはたいていナチズムを範としているから、ユダヤ人に対する憎しみがことに深い。

テレビで見ると彼らは“Jews won’t replace us!”と繰り返し叫んでいる。「ユダヤ人は我々に取って代わることはできない」という意味だが、要するに「ユダヤにやられてたまるか!」というところだろう。

これほど明白な人種差別主義の団体に関してトランプは「いや、どっちもどっちさ。白人至上主義にもそれに反対するがわにも悪い奴もいれば立派な人もいる」と「喧嘩両成敗」式のコメントを出した。

表立って人種差別を糾弾「しなかった」ということがごうごうの非難を巻き起こした。 一年後の記念日に人種差別を批判したけれど、時すでにおそし、という感じだ。

連帯と尊敬の印としてヒジャブをかぶってイスラム教徒を抱きしめたアーダーン首相とはなんという違いだろうか。


ヒジャブといえば、最近アメリカではこれについてひと騒動あった。

去年の中間選挙でアメリカは歴史上初めてイスラム教徒の下院議員(二人)を選出した。その一人、イルハン・オマールという女性はもともとソマリア出身の難民だった。帰化してアメリカ人になった外国出身者が国会議員になれるということを私は知らなかったからびっくりした。ちなみに帰化人は大統領にはなれない。

彼女は常にヒジャブをつけている。イスラム教徒として当然だけれど、アメリカの議会としてはこれも初めてのことだ。

右派のテレビ局のアンカーがこれに噛み付いた。ヒジャブはシャリア法(イスラム法)にのっとっているのでアメリカ憲法に違反している、というのだ。オマールに国会議員を辞職せよと迫った。

テレビ局はすぐにこのアンカーを番組から降板させた。彼女の意見は局の意見を代弁するものではないと弁明したが、どうだかわかったものではないと私は思っている。むしろ、アンカーを使って世論の反応を見たのだ、と考えられる。トランプ大統領は「アンカーを再登場させろ」とツイッターした。

もしヒジャブが憲法違反なら、ユダヤ人がつける小さな丸い帽子も、インド人のターバンも、カトリック聖職者の様々な帽子もダメということになる。移民でできあがっている国で、そして多様性を誇りにしている国で、今までこれが問題になったことがなかったのだ。いかにイルハン・オマールの登場が衝撃的だったか、ということを証明している。その決着はまだついていない。


ニュージーランドのテロ事件と同じ頃、私にとっては悲しい事件がフロリダで起こった。以前この稿でも触れた(147回、148回)フロリダ、パークランドでの高校襲撃事件から1年がたった矢先、事件の生き残りの一人、19歳の女性が自殺したのだ。親友が殺されたことで、「サバイバー・ギルト」(生き残ったことに対する罪悪感)にさいなまれていた。大学に進学しても教室に入るのが怖くてならない、というPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状も出ていた。

銃規制運動のきっかけとなった事件の生き残りだったのに、彼女は自殺するのに銃を選んだ。自殺という殺人に銃がどれほど最適か、これほどよく示すものはない。エマ・ゴンザレスは事件当時、「ナイフだったらあんなに人を殺せるはずがない」と言っている。自殺の場合も、銃が一番てっとりばやいのだ。


このような大量テロ事件では最後に犯人が自殺するか、警官との撃ち合いで射殺されるかすることが多かった。しかし近頃はそうではない。パークランドの事件では犯人は生き残った。現在死刑を免れることを条件に検察に司法取引を申し出ているそうだ。司法取引というのは検察に有利な証言をすることで(つまり他人を陥れることで)自身の罪を軽くすることをいう。

パークランドの場合は犯人は一人だけだから、どのような証言を提供して罪を軽くしてもらうつもりなのか不明だ。

検察はしかしあくまで死刑に固執して、司法取引には応じないそうだ。私は死刑に反対だけど、理解できないことではない。十七人の無辜(むこ)の、それも大半は10代の若者が殺されたのだ。さらに自殺者が出た。


ニュージーランドの事件の犯人も生き延びている。百人からのイスラム教徒を殺傷しておいて、それでおめおめと警察に捕まる、というのが理解できない。

2006年の調査によるとニュージーランドのイスラム人口は3万6千人だそうだ。今は5万人ぐらいにはなっているのかもしれないが、それでもニュージーランド総人口が5千万弱だから0.1%、実際は多分それよりも少ないだろう。そんな微弱な移民を、しかも戦火を逃れてやっとたどり着いた難民を脅威だと感じてモスクで虐殺する、というのは卑怯者のすることだ。


私はアーダーン首相があるべき世界の姿を指し示し得た、と信ずる。彼女の行動とリーダーシップによって、ニュージーランドの市民が、また世界中の人々が、人間性に対する信頼を取り戻し、憎悪と分断の地獄を乗り越える可能性を獲得したと思う。

今になってあのボストン時代の友人に言いたい。ニュージーランドは「どこでもない場所」なんかじゃない。今最も熱い、最も希望に満ちた場所なんじゃないか、と。「そんなの、あったりまえだよ」と言われるかもしれないけれど。


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