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縁の下のバイオリン弾き
150 ルピータ
2018年6月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ グアダルーペのマリア(ホアン・ディエゴのマントに現れた像)
▲ サーフィン・マドンナ
ルピータ・ニョンゴというハリウッド女優をごぞんじだろうか。2013年の
「それでも夜は明ける」という映画でアカデミー助演女優賞をとった。

私がこの人に興味を持ったのはその名前からであった。ルピータというのはメキシコ人の名前であるのに、ニョンゴというのはアフリカ人の名前らしかったからだ。

調べてみると確かにこの人はメキシコとケニアの国籍を持っているのだった。要するに二重国籍で、そういうと日本ではけげんな顔をされるが、国によってはそういうことが可能なのだ。

ルピータ・ニョンゴは親がメキシコの大学で教えていた関係でメキシコで生まれた。すぐにケニアに帰ったのだけど、10代のころ、スペイン語を勉強するために10ヶ月ほどメキシコにもどった、という。

そういうわけで彼女は出身部族語のルオ語のほか、スワヒリ語、英語、スペイン語にたんのうなんだそうだ。「スターウォーズ」や「ブラック・パンサー」などアメリカ映画に出演しているけれど、アメリカ人ではない。


ルピータがメキシコ人の名前だ、といったのはうそではない。この名前を持つ女性はまず確実にメキシコ人だ。なぜかというと、この名前はメキシコの守護聖人、グアダルーペのマリアに由来するからだ。 このマリアの伝説は次のようなものだった。

メキシコ市に近いテペヤクの丘で、1531年というからほとんど500年の昔、ホアン・ディエゴという先住民の前に褐色の肌を持つ聖母マリアが出現した。

聖母は先住民の言葉ナワトル語を使ってホアンに話しかけ、自分のために教会を建ててくれるようにメキシコ市の司教に言ってくれと頼む。ホアンはその通りにするが、それを伝えられても司教は簡単には奇跡を信じない。まだ先住民は人間あつかいされなかったという時代だ。

司教は何か確実な証拠になるものをもってこい、とホアンに命ずる。すると聖母はまたホアンの前に現れて、冬のさなかであったにも関わらず、バラの花が咲いているから持って行きなさいという。ホアンは自分のマントにそれを包んで司教のところに持って行くのだが、開いてみるとマントには聖母の画像が現れていた。

司教はバラと画像を見せられて、これは本物だと確信し、教会を建てた。

これが現在のグアダルーペ大聖堂だ。世界最大級の数の巡礼が訪れる。マリアはホアンと同じ言葉を話し、同じ肌の色をしているということで、ラテン・アメリカ全体の先住民の聖母とされた。グアダルーペのマリアという呼び方は聖母自身がそう呼んで欲しいと言ったからだという。

ホアン・ディエゴのマントに現れたマリアの絵が大聖堂の中に保存・公開されている。500年近く経っているのに、色が褪(あ)せていない。使われた顔料は(教会の説明によると)この世のものではないそうだ。


グアダルーペのマリアに対するメキシコでの崇拝はただ事ではない。メキシコは90%の国民がカトリックなのだけれど、マリアは守護聖人というより守護神と言ったほうがいい。多くの教会はイエスではなく彼女が主神となっている。そしてヌエストラ・セニョーラ(われらが聖母)という言葉がつく教会がやたらにある。


教会ではないが、米カリフォルニア州のロサンジェルス市も19世紀の半ばまでメキシコ領で、設立当初はエル・プエブロ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・ラ・レイナ・デ・ロス・アンヘレス・デ・ポルツィウンコラ(ポルツィウンコラの諸天使の女王たるわれらが聖母の町)という長ったらしい名前だった。ポルツィウンコラはイタリアの聖地だそうだ。ロス・アンヘレスを英語読みにしたのがロサンジェルスだ。

ロス・アンへレスは天使たちという意味だからこの名の街は中南米にいくらもある。カリフォルニアのロサンジェルスがたまたま一番大きく有名になったわけだ。


メキシコでもっとも多い女の名前は疑いもなくマリアだ。その次に多いのがグアダルーペである。2016年の新生児の名前の統計ではマリアは4位となっているが、これはその名前だけの場合で、他の順位にはマリア・エレナだのマリア・テレサだのという複合語の名前が10以上並んでいる。この人たちもマリアと呼ばれるから、もうダントツで1位である。またグアダルーペだけの名前はマリアを抜いて3位につけているけど、5位にマリア・グアダルーペというのがあるから、これも2位と言っていいだろう。

グアダルーペといえばマリアを指すからどちらで呼んでも同じことなんだけど、直接マリアというのは恐れ多いということなのか、グアダルーペが好まれる。

グアダルーペを略してルーペという。それに指小辞と言って〜itaをつける。それがルピータだ。〜itaをつけるのは愛称で、要するにルーペちゃんというようなものだと思えばいい(男の場合は〜itoをつける)。

チキータというバナナの銘柄がありますね。あれはチカ(若い娘)に〜itaをつけたもので、かわい子ちゃん、という意味だ。

アナがアニータになり、ローサがロシータになる。ミュージカル「エビータ」の主人公の本来の名前はエバだ。

池澤夏樹の短編小説に「マリコ/マリキータ」というのがある。これは主人公がグアム島で、マリキータという愛称のマリコという日本女性と恋に落ちる、という話だ。グアムは現在でこそアメリカ領だけど、その前はスペイン領で、その歴史の方がアメリカになってからよりずっと長いからスペイン語の影響が強いのだ、という解説がある。

もっとも作者はマリキータという名前をマリアの愛称だ、と書いているけれど、これは間違いだろう。国にもよるが、ふつう聖母の名前には愛称がない。イエスという名前に愛称がないのと同じだ。

それに、マリアがマリキータになるいわれがない。これはMarikoに〜itaをつけるからマリキータになるのだ。つづりはMariquita。偶然だが、これはスペイン語で「てんとうむし」という意味だ。

池澤夏樹は実際にマリキータと呼ばれているマリコさんに会ったことがあるのだろう。


「ロリコン」という言葉がある。日本で変形して使われる英語によくあるように、元の意味とは似ても似つかない言葉になってしまっているが、「ロリータ・コンプレックス」を略したものだ。そのロリータというのはウラジミール・ナボコフの名作「ロリータ」の主人公だ。

ヨーロッパから来た中年男がローティーンの少女に恋いこがれる、というのが小説の設定だ。舞台はアメリカで、少女もメキシコとは関係ない。名前をドロレスといい、スペイン語風に略したのが愛称のロリータだ。Doloresの真ん中のLorに〜itaをつけてLorita。

ドロレスという名前がそもそもスペイン語だ。そのもとになるドロールという言葉は「痛み」という意味なのだが、名前の場合はドロレスという複数形になっていて、ただの痛みではない。これは聖母が最愛の息子イエスを失った心の痛みを指す。従って直訳すれば「種々の痛み」という変な名前が聖母の痛みということになり、カトリック国では女にふさわしい名前になるのだ。西洋にはこれを主題とした絵画がたくさんある。タイトルにドロレスが使われることも多い。典型的な図柄は聖母が短剣に心臓を貫かれて血を流している 、というものだ。日本では「悲しみの聖母」と訳される。つまりドロレスと言ってもロリータと言っても間接的にマリアと言っているのと同じことなのだ。

スペイン語では女の名前は大部分aの音で終わる。グアダルーペのようにaで終わらない名前であっても、〜itaをつければaで終わることになってしまうから、ますますこの規則が力を持つ。

たいていの親は無意識なのだろうけれど、最近の日本の女の子に多いチカ、ユカ、ミカ(あるいはマヤとかヒナとか)などという名前は疑いもなくこのスペイン語あるいはイタリア語の規則にのっとったものだ。そうではない、これは純粋な日本の名前だ、とする人もいるのかもしれないけれど、これだけaの音で終わる名前がはんらんするとその流行の激しさそのものが親の主張を裏切っている、と思う。

逆に昭和期に隆盛を誇った〜子という日本女性の名前はスペイン語圏では男の名前だと誤解されることが多い。マリコがマリキータになるわけだ。


こういう事情だから、グアダルーペとは(ルピータ・ニョンゴのような例外を除いて)ほとんどメキシコだけで見られる名前だ。

グアダルーペ崇拝はキリスト教が伝わる前の土着の地母神崇拝が影響しているといわれる。カトリック教会は先住民を改宗させるため、彼らの信仰をある程度生かすことにした。メキシコの自然宗教とカトリックが融合したところに生まれたのがグアダルーペのマリアだ。

メキシコという国はマッチョの国だ。男っぽい男が尊敬される。しかしその裏では男も女も根強い聖母信仰を抱いている。

厳しい神様よりも慈母のマリアにすがりたい、彼女にとりなしてもらいたい、と願う人が多いのだ。虫のいい話ではあるけれど、その気持ちわかりますね。


2011年にサンディエゴ近郊のエンシニタスという町に突然このグアダルーペのマリアが現れた。といっても現代のホアン・ディエゴに天下ったわけではない。

サンディエゴからこの町を抜けて高速道路が走っているが、そのコンクリートの橋脚の壁にタテヨコ3メートルの、グアダルーペのマリアのモザイク像がこつぜんと現れたのだ。

モザイクとは色のついた陶器やガラスの破片を壁に貼りつけて絵画としたものをいう。グアダルーペのマリアの服装をし、手を合わせて祈りを捧げるけいけんな姿もそのままだが、なんとマントをひるがえして海の上でサーフィンをしているのだ。

この意表をつくデザインはたちまち評判になって見物客がわんさと押しかけた。絵の横に“Save the Ocean”と書いてあるから海洋汚染に抗議していることはわかるが、グアダルーペのマリアとはまた考えたものだ。その時点ではまだ作者は誰ともしれなかった。

教会や保守派のカトリック教徒はこの壁画を聖母をおとしめるものだとして非難した。しかしカリフォルニアはもともとメキシコ領だった土地だ。メキシコ系の人も多い。2020年にはヒスパニック系(メキシコをはじめとするラテン諸国の血をひく人)が州人口の過半数をしめるという。

グアダルーペのマリアといい、サーフィンといい、この像はいかにも南カリフォルニアを象徴しているものとして、おおむね好意的に受け止められた。

無粋(ぶすい)なことに市当局はこれを「落書き」とみなして撤去することに決定した。作品が破壊されることを恐れた作者は名乗り出て、罰金と像の移動に要する費用を払った。撤去を惜しむ人が多く、現在それはサーフィン・マドンナの名を冠した公園に飾られている。

作者マーク・パターソン(メキシコ系ではない)は、ソフトウェアのエンジニアだったのだけど、会社を退職して9ヶ月かけてこの作品を作り上げた。そのメッセージはもちろん環境保全だ。友人と二人で道路工事の作業員になりすまし、白昼2時間ぐらいでこれを橋脚に貼りつけた。

彼はこれをエンシニタス市に対する贈り物だと考えていて、市条例に違反するなどとは知らなかったのだそうだ。

そんな現代の奇跡みたいなことができたのも、グアダルーペのマリアのおかげだろうか。



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