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縁の下のバイオリン弾き
153 教会の犯罪
2018年9月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 「カルヴァリー」のブレンダン・グリーソン
8月14日にペンシルバニア州の大陪審(注1)がカトリック教会を訴追するレポートを出した。調査に2年をかけたこのレポートによると過去70年あまりの間にペンシルバニア州の教会で少なくとも301名の神父が男女の子供達に常習的な性的虐待をしていた、という。

犠牲者は千人を超えるけれど、それは氷山の一角で、表に出なかった犯罪は数千を数えると言われている。

教会は仏教の檀家のように司教区と呼ばれる地域に分けられ、その地区の信者によって支えられている。その教区を管轄するのが司教だ。

ペンシルバニアには8つの司教区があるが、その6つに性的虐待を犯した神父が存在した。大都会のピッツバーグでは99名の名前があがっている。

性的虐待という言葉は被害者が未成年である場合によく使われるけれど、その実態はほとんどがレイプである。そしてこの場合には少年の被害者の方が少女より多い。中には児童ポルノに手を染めた神父もいたという信じられないような話だ。

ある神父は未成年の少女を犯して妊娠させ、手を回して中絶させた。そんなことをしても神父としての地位は安泰だった。

なぜかというと教会そのものが犯罪の実態をひた隠しにし、もみ消し、神父を他教区に鞍替えさせて、組織を守り通したからだ。つまり、犠牲者は泣き寝入りだったのである。


今回の訴追の趣意は、犯罪を犯した神父を罰することはもとよりだけれども、なお重要なことはこの教会による組織的なもみ消しを糾弾することにあった。犯罪者神父の上司はその犯罪に直接加担してはいないだろう。しかし、性的虐待の噂でも立とうものならすぐさまその神父を他教区に飛ばしてしまう。その新しい教区でも犠牲者が出るだろうということは考えない。当の神父は叱責を受けることすらなく、その行為は野放しになってしまう。

そして表向きは「ふざけあっていた」とか「いや、ちょっとレスリングの真似事をして」とかの口実を設けて法権力の介入を防ぐ。その子ども自身や親の訴えには誰も耳を傾けない。聖職者がそんなことをするとは信じないからだ。それが犠牲者にどれだけ深い傷を負わせるか、計り知れない。アルコール ・麻薬の中毒、精神障害や自殺など、その結果をあげればきりがない。

もちろんこれはペンシルバニア一州のことではなく、アメリカ一国のことでもなく、広く世界中に影響を与える弾劾(だんがい)だ。カトリックという名前そのものが「宇宙にあまねき教え」を意味するのだから、世界のどの一角で起こったこともすぐに全体に波及する。

その行き着くところ、教会の長である教皇に対する非難にならざるを得ない。

教皇フランシスコはこれまでの教会の性的スキャンダルについてはすでに陳謝しており、今回のペンシルバニア州の訴追に際しても改めて犠牲者に対して謝った。絶対にこれらの犯罪は許さない、という以前からの決意を新たに表明してもいる。

でも教会の指導者たちはいつも「自分は知らなかった」という。これが問題で、監督不行き届きという観点からも知らなかったですまされることではない。それどころか知っていてそのごまかしに手を貸した事例が数多くある。

教皇は「無謬(むびゅう)」、つまり絶対にあやまちを犯さない、ということになっている。そんなバカな、と思われるかもしれないが、過去2000年にわたってそう信じられてきた。教会が地動説を認めたのはつい最近のことだ。

それが今回造反派の枢機卿(すうきけい=高位聖職者)から、「辞職するべきだ」という声が上がっている。以前なら考えられぬことだ。


そもそもはカトリックの聖職者は男女を問わず「貞潔を守る」という掟(おきて)があることから始まったことだ。セックスはしない、という誓いを立てる。

教会は同性愛を罪とみなすから、この掟が同性愛者の隠れみのになったことは疑いを容れない。異性との結婚など思いもよらない彼らは宗教者になれば世間の圧力から逃れられた。神父になるための厳しい修行も自分の性向を隠し通すためには安い代償だった。教会が同性愛に対するかたくなな態度を捨てさえすれば、そのようなことは起こらないですんだのに。

それが犯罪の温床になる、ということは一部の聖職者にはわかっていたかもしれないけれど、誰もそれを改革しようとはしなかった。なぜならセックス嫌いの教会としては、聖職者が結婚しない、ということこそが、俗人にはたどり着くことのできない高みだ、という大前提があったからだ。

カトリックの教えに反逆したプロテスタント(反逆者という意味)は牧師の結婚を認める。牧師も俗人と同じだ、ということだ。

カトリックにとってはそれは堕落と映る。俗人と変わらないものがどうして人を導けよう。大いなる犠牲を払うことができる者のみ神の言葉を述べ伝えることができるのだ。

こういう考え方は何もカトリックに限ったことではないと思う。日本の仏教は僧侶に妻帯を認めるけれど、仏教はもともと聖職者の妻帯を禁じていた。ナマグサというのは肉を食べるばかりでなく、邪淫戒を犯す坊主のことでもある。

衆にすぐれた能力を持つものが指導者になるべきだという考えは理解できるけれど、その能力がセックスを我慢する禁欲にあると言えば首をひねる向きも多いだろう。さらにそれが幼児性愛につながるというのでは百人が百人、許すことはできないと思う。先には同性愛者の話を出したが、同性愛・異性愛に関係なく、セックスを禁止するというこの不自然な制度そのものに問題があると言ってよかろう。


今や成人した被害者のインタビューをテレビで見て胸を打たれた。ある男性は
「教皇に会えたら何と言いたいですか」と聞かれて、「そうですね。ビジネスの観点から言ったら、あなたはPRの面でとてつもない失敗を犯していますよ、と言いたい」と答えている。これにはインタビュアーもあっけに取られて、「いや、道徳面で」といいそえると、「道徳面って、あなた、相手は道徳の本家本元ですよ。その道徳の権化に向かってなんと言えばいいんだ。まあお聞きなさい。私はビジネスマンだからビジネスのアドバイスならできる。教会も会社と同じだ。カトリック教会は莫大な資金を持っているが、もし一人の神父が一銭でも横領しようもんなら、教会は弁護士を雇って徹底的にその神父を訴追する。絶対に容赦しない。ところが悪徳神父が幼い子供を毒牙にかけても見て見ぬ振りをしてその神父を他のところに飛ばしてすませている。被害が広まっても知ったことじゃない。こんなことが世間に知れてごらんなさい、企業として最悪の事態ですよ、と言ってやる」

またある女性は「神様って言葉を聞くたびにあの男のことが思い出されて…。そのたびにゾッとする。私はまともな恋愛もできないようになってしまった…」と涙ながらに語っている。

犠牲者の最年長は83歳の老人で、「1947年か8年のことだったと思う。わしは父親がいなかったから、神父に目をつけられたんだ。だけどその頃、誰もわしの話を信じてくれやしない。だって、相手は神父だぜ。誰が信じるもんか!だからわしは誰にも話さずにこの年月を過ごしてきた。今やっと、話すことができたんだ」

さらに別の男性は「犯人の神父に言いたいことは?」と聞かれて「あなたの永遠の魂のために祈っています、と言うよ」といっている。キリスト教では人生はこの世のことだけではない。魂は永遠に生き続ける。この世の悪行のせいで地獄の業火に焼かれるのであれば、それを本当に信じている人々にとっては身の毛のよだつ恐怖に違いない。それでもなお性にあらがえない。人間の業の深さには言葉もない。


この稿を書いている時点で教皇はアイルランドにいる。本稿第107回で書いた、未婚の母の子供を無断で外国人に養子として売り渡してしまう、という修道院の非行、また神父による性的虐待を謝罪するための旅をしているのだ。

何もしないよりははるかにいいが、保守的な教会の体質のために性犯罪の大部分が時効になってしまった。 大陪審は今後教会のこのような犯罪に対しては時効を設けないこと、という提案をしている。


カトリック教会の性犯罪が日の目を見たのは2002年にボストン・グローブ紙が沈黙を破ってその実態を報道したことに始まる。ボストンはアイルランドからの移民が多く住んでいるところでカトリックの勢力が強い。調査を任された同紙「スポットライト」チームは勇気がいったと思う。彼らの記事はピューリッツァー賞を受けた。その活躍を描いたのが2015年の映画「スポットライト 世紀のスクープ」で、これは翌年のアカデミー最優秀作品賞に輝いた。

私にはしかし2014年の映画「カルヴァリー」が印象深い。これはアイルランドの田舎町が舞台で、教会の神父が告解(=ざんげ)の時に「お前を殺すぞ」と予告される。神父にはこれが誰であるかもちろんわかっているのだが、映画の観客には誰だかわからないので、ミステリー仕立てで話が進行する。神父は告解の内容を秘密にしなければならない義務があるので警察に訴えることもできない。(ネタバレになるので見ていない人は以下を読まないでください)。

カルヴァリーというのはゴルゴタの丘と同じことで、キリストが刑死した場所を指す。なぜこんな題名がついているかというと、この神父がキリストと同じように他人の罪を背負って死ぬからだ。その罪というのがもう死んでしまった他の神父による幼児の性的虐待なのだった。

神父の教会が焼き打ちに会う。彼は大丈夫だったが愛犬が死んでしまう。神父はその死を激しくいたむ。

少年時代、性的虐待の被害者だった暗殺者がピストルを持って神父と対決する。神父に「あの犬が死んだとき、涙を流したか」と聞く。

「流した。悲しかった」
「じゃ、性的虐待の話を聞いたときに、被害者の子供のために涙を流したか」
「いや、流さなかった」
「なぜ流さなかった」
「それは…よくわからない。あまり身近な話じゃなかったから」
「そういうことを言うんだったらお前は死ななければならない」

こういうやり取りは日本人にはチンプンカンプンだ。犯したわけでもない罪のことでなぜ彼が死ななければならないのか。

でもカトリックの聖職者は、キリストを見習って行動しなければならない。そのキリストの生涯の意味は、神のためのいけにえになる、ということである。

キリストは神の子だ。もっとも尊い存在である。それが全人類の罪をつぐなうためにいけにえにされる。彼が殺されたことによって、我々は罪を許されたのだ。

そのキリストを見習うべき神父が、他の神父が犯した性犯罪を自分の罪として受け入れ殺されるというのはむしろ本望であるはず、なのだ。だからカルヴァリーという題名がついているのだ。

児童に対する性愛が、関係ない神父の死を要求するまでの大罪だ、という認識がこの映画を際立って意味あるものにしている(注2)。


私がカトリックの中学に通っていた頃はこんな話は聞いたこともなかった。その頃は聖職者が独身だということも、偉いものだと思っていた。だから、今回の大陪審の教会に対する訴追を他人事として聞くことはとてもできなかった。



注1)大陪審とは、民間から選ばれた通常23名の陪審員が、ある事件を巡ってその容疑者を起訴するかどうかを決定するシステム。裁判で有罪無罪を決定する(小)陪審に対しての名称。

注2)アメリカの映画でカトリックの性的虐待を取り上げたのは1996年の「真実の行方」が最も早いものだと思う。シカゴの大司教が児童ポルノを撮影していた、というスキャンダルが殺人に発展する。原作は1993年の小説。


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