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縁の下のバイオリン弾き
165 カルロス・ゴーン
2019年9月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
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カレーを食べるとき、ソースをかけますか。まだ日本にいた時に、そういう食べ方をする人をよく見た 。私はしたことがないけれど、ソースをかけたほうがおいしい、という気持ちはわからないでもない。

もしあなたがその常習者で、インドに行った時もその習慣絶ちがたく、カレーを食べる時ソースをかけていたとしよう。インドの人がそれを見とがめて眉をしかめ、「インドではそんな食べ方をしない」とあなたに言ったら、何と答えますか。

私はなんども頭の中でその情景を組み立ててみたけれど、どうも答えが見つからない。実際、なんと言っていいかわからないのだから、「答えはない」というのが正解かもしれない。

「いや、日本ではこうやって食べる人は多い」「やってみたらどうですか、おいしいよ」「すみません、これから気をつけます」のどれかでいいのだろうか。

「余計なお世話だ。人のことにいらぬ口を出すな」とすごむのがインドにおける外国人として正しい態度だろうか。


なぜこんな話をしているかというと、最近朝日新聞に載った「ゴーン・ショック」(大鹿靖明記者)という記事を読んで考えさせられるところがあったからだ。以下に引用する。

「日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の逮捕は衝撃的だった。倒産寸前の日産を立て直し、名経営者とたたえられてきた人なのに、逮捕後は耳を疑う醜聞が続々伝えられている。英雄が暴君に変じたのか。あまりの落差に戸惑う。

 ところが日産の歴代幹部に取材すると、それは『豹変(ひょうへん)』ではなく、予兆はいくらでもあったという。1999年の来日当時のこと。ゴーン氏が白飯にソースをかけるのを見て、同席した元取締役が「日本ではそんな食べ方をしない」と注意すると、にらみつけられたという。

 『誇り高く、注意されるのが苦手な人』と元取締役は振り返る」


私はその時のゴーン氏の頭の中を想像する。私がカレーについて書いた反応をすべて吟味した後で、そのどれもが適当でないと考え、当惑して相手をじっとみつめたのではないだろうか。

あの人はもともとこわい顔をしているから、注意した取締役が「にらみつけられた」と思ったのも無理はないかもしれないけど、単に絶句しただけかもしれないのだ。

私はその取締役をローマに連れて行ってタラコのスパゲティを注文させてみたい。あるいは北京でお茶漬けを食べさせてみたい。「こちらではそんな食べ方をしない」と言われてどんな名答を出すか見ものだと思う。そのあげく「誇り高く、注意されるのが苦手な人」と評されたら、どんな気持ちがするだろうか。

「誇り高い」というのは「わがまま」というのとほとんど同義語なのだろう。でも、自分の白飯の食べ方が唯一「正しい」方法だと信じてそれに従わないものを非難する方がよほど「誇り高い」のではあるまいか。

「注意されるのが苦手な人」はどこにでもいる。でもそれが耳を疑う醜聞の「予兆」?「暴君」?それこそ耳を疑ってしまう。

そんなことが自己の狭量を証拠立てる種に使われるのではたまったものじゃない。


日本人が外国人に対してこういう態度を取るのは、自分だけが白飯の食べ方を知っている、と思っているからだろう。一体なぜ白飯の食べ方は日本人の一手専売だと思うのだろうか。アジアに白いご飯を食べる民族はいくらもいる。彼らが白飯に料理の煮汁をかけたりすることを思えば、ゴーンさんがソースをかけたっておかしいことはまったくないじゃないか。

ソースやケチャップをかけるのは悪くて、うなぎのたれや納豆ならいいと言う基準はどこにあるのか。茶碗に盛ったご飯に醤油をかけるのは御法度だが、醤油味の焼きおにぎりは歓迎される。

ソース焼きそばは日本料理の鬼子なのだろうか?ケチャップもご飯と一緒に炒めれば許される?

ゴーンさんの住んでいた世界で、パンやパスタやポテトに何もつけないで食べるということはまずしないことだったろう。日本のご飯の食べ方は、ゆであげたスパゲティに何もつけず、そのまま食べろと言うに等しい。

よその国に行ったからといって慣れ親しんだ食べ方を変えなければならないとは想像もできないことではないだろうか。

誤解のないように断っておきたいのだが、私は「外国でそうしている」から日本人もそれを受け入れよ、と言っているのではない。外国人をつかまえて「日本ではそんな食べ方をしない」と言うのがひとりよがりに聞こえる、と言いたいのだ。

サンディエゴの私の住んでいる地区に「一番」という小さな日本食堂がある。私がここに来たばかりの頃から、顧客の中に日本人はほとんどいなかった。 現在と違い、まだ日本食がファッションではなかった時代にアメリカ人に日本料理を食べさせようとしてできたものだ。私は30年以上ひいきにしている。

昔の日本食堂はどこも同じようなものだと思うから、ここの定食をちょっと解説したい。「チキンの照り焼き」がおかずで、それに餃子とかコロッケとかが一つつき、サラダがつく。ご飯もおかずもきっちり区画のある重箱に入っていて、混ざりあってはいない。

「チキンの照り焼き」は鶏と野菜をいためて醤油とみりんで味をつけたもの。野菜はズッキーニとマッシュルームで、名前からして西洋野菜だ。和食と称するにはどうかと思う選択なんだけど、これがアメリカでは一番安い野菜なのだ(と思う)。

そのテリヤキ・ソースがご飯にも少量かかっている。お客が大部分非日本人なので、白飯にソースをかける人が多く、彼らの手間を省くために最初からソースをかけているのだ。私は多分最も古い日本人客だと思うけれど、これを注文する時は「ソースなしでね」と念を押さなければならない。よくそれを忘れてソースのかかった白飯を出されてうめくことがある。つまりそれぐらいご飯にソースというのはアメリカでは普通のことなのだ。

アメリカで普通ではないことにスイカに塩をかける、ということがある。夏になるとよくスイカを食べるのだが、この時に私は必ず塩をかける。かけないとスイカを食べた気にならない。ところが、テーブルの周りの人は皆不思議そうな顔をする。 塩で甘さが引き立つ、ということを知らないので、 誰もそんなことをしないのだ。まさに「アメリカではそんな食べ方をしない」だ。


「ご飯にソース」の話はゴーンさんの日本の文化に対する鈍感さをことさら強調するために書かれたのかもしれない。でも着任早々のゴーンさんに対してそれは酷ではないか。あまりうまくならなかったとはいえ、日本語も勉強したゴーンさんが、しかも記事中にあるように日本を尊敬し、日本人の心づかいに深い感謝の念を抱いていたゴーンさんが意図して日本文化を無視したとは思えない。


ゴーンさんのおかげで日産は息を吹き返し、利益を生むようになった。自動車産業はどこの国でも基幹産業だ。ゴーンさんはその意味で日本経済に貢献したのである。だけど、ひょっとしたらやりすぎて、うとましく思われたのかも知れない。ことわざにも言うではないか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と。


私はここで、古い話だが「日本人とユダヤ人」と言う本を思い出してしまう。この本は1970年の出版で、著者はイザヤ・ベンダサンと言う自称「ユダヤ人」だった。のちにこれは事実ではなく、「訳者」の山本七平が書いたのだと言うことが暴露される。

その本の中に、第二次世界大戦後のヤミ市場(ブラックマーケット)の話題が出てくる。当時は誰もがヤミをやっていた。日本中でただ一人、ヤミ米を食べることを拒否して餓死した裁判官がいて新聞記事になった。

「そりゃ、ヤミをやらねば食っていけないし、俺もやってるけど、あいつはやりすぎるよ、あんなことまでやれば、つかまるのはあたりまえだ」という言葉が出てくる。つまり、法といってもある程度の逸脱は許される。けれど、完全に法を無視することは許されない、というわけで、これが日本の社会を支配している原則なのだとベンダサンは言う。

なかなかうがった観察だ。でも、その逸脱の線引きをどこでするかと言うことは外国人には分かるはずがない。日本人の間でもこれは「あうんの呼吸」であって、どこにも明文化されていないからだ。


ゴーンさんは日本では社長と労働者の給料の差が欧米に比べて少ないのを考慮し、給料の半分を退職後に受け取ることにした。そのことを公開しなかったのが「給料隠し」とされたようだ。だけど、まだもらってもいない給料を申告しなかったのが「隠匿」(いんとく)になるのだろうか。手に入るまでにはどんな運命のいたずらがあるか知れたものではない。論より証拠、逮捕されてしまっては、日産がそれを払う義務はなくなり、ゴーンさんのふところには入らない、と推察される。それでも「隠した」というのだろうか。

それともその額が50億とか言うので「あんなことまでやれば」と言われているのだろうか。

「法の下の平等は守られなければならない」というけれど、彼の醜聞とされるものが、どこかに家を買ったり、ベルサイユで結婚式をあげたり、日本でこそ眉をひそめられる事かもしれないが、他国では取り立てて非難されるような事柄ではない。その他の「犯罪」にしても、ゴーン側はすべて筋の通った金の使い方だと主張している。

それが正しいのかどうか、今後の裁判にまつ他はない。有罪が宣告されるまではゴーンさんは無罪のはずである。しかしマスコミはこの記事を見ても分かるように頭から罪人扱いだ。

何度も逮捕を繰り返し、長期間勾留し、家族との連絡も制限する検察のやり方は、はっきり言って人権無視だ。有罪無罪に関わりなく、批判されても仕方がないと思う。

企業内で社長が不正をしたならば、株主総会で彼をやめさせればいいだけの話だ。ところが誰も猫の首に鈴をつける者がいないので、検察庁に泣きついた。その時に、日本に導入されたばかりの「司法取引」をした、ということが伝わっている。司法取引は本稿第160回、「ジャシンダ・アーダーン」で書いたように、他人を陥れることによって自身の罪を軽くする、ということだ。ということは日産側にもそれ相応の犯罪行為があって、ゴーンさんを告発することによって検察庁にそれを帳消しにしてもらったわけだ。アメリカではごく普通のことだけど、そんなあざとい取引は日本の風土に合わないと思う。


今後、危機に瀕した日本の企業にテコ入れしてやろうと一肌脱ぐ外国人は一人も出ないだろう。ゴーン事件のいきさつを知っては、誰が火中の栗を拾うものか。

猫もしゃくしも口を開けば「国際化」を唱える時代に、日本は自ら門を閉ざしたのだ。


ゴーンさんが高い報酬を要求したことは事実だろう。それは自分にそれだけの価値があると信じていたからだ、と思う。でも、すべて私利私欲のためだったというのはどうだろうか。

頭のいい犯罪者なら、人生の20年を費やして異国の会社の再建に努力する、などという間尺(ましゃく)に合わないことをするはずはない 。


ゴーンさんがもっと前に退職していたなら、彼は日産中興の祖として今でもあがめられていたかもしれない。でも残念ながら、「勇退」という語彙はゴーンさんがあやつる5つの言語の中にはなかったのだろう。
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