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縁の下のバイオリン弾き
172 コロナウイルス
2020年4月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ フィレンツェ

ヨーロッパで新型コロナウイルスの感染が最も激しいのはイタリアである。死者の数が突出している。そのイタリアでは北部のロンバルディアがひどくやられている。ミラノのあるところだ。

クレモナは去年私とリンダが訪ねた町だ。小さな町だけに、そこで出会った人々のことがくっきりと思い出される。日本にも行ったことがあるというバイオリン製作者、小さな画廊で作品を展示していた画家、果物店で、もっと持ってけとオレンジを足してくれたアラブ系の若者、レストランで「ピザを食べるならフォー・チーズ・ピザ」とすすめてくれたウェイトレス。あの人たちは無事だろうかと考えると気が重い。

ベネツィアからミラノに行く幹線からクレモナに別れる支線の駅はブレシアだ。私たちは雨のそぼ降るその寒い駅でクレモナ行きの電車を待った。そのブレシアはロンバルディアで1、2を争う被害地で、大都会のミラノよりも状況が悪い。

ベネツィアでも患者が出ている。去年の秋、ベネツィアはこの50年最悪という高潮に襲われた。私たちが歩いたあの広場、この大伽藍が水につかった。水害だけでも半永久的な打撃なのに、その上に病魔に侵されている。不運というもおろかだ。


私は日本の大学で卒業50周年の入学式に参列するつもりだったけど、中止した。現在では日本に行くこと自体できない相談だが、私が中止を決めたのは3月初旬で、まだ日本の状況がどうなるかわからない時期だった。日航は全額払い戻してくれた。日航の決定は、これがどれだけ異常事態かということをはっきり示している。私もリンダも桜を見ることを楽しみにしていたのに、それどころではなくなった。


アメリカにとっては最初「対岸の火事」だった。でもすぐに火の手が上がり、それからの対応は後手後手にまわった。病気が初めて現れたのは韓国と同じ頃だったのに、素早く適切な処置をとった韓国とは対照的に、5、6週間の危機的な状況に初動を誤り、現在ではアメリカは世界一の感染地域となった。何より先進国として信じられない医療器具の不足が事態を深刻にしている。検査キットの不足で誰が感染しているのかわからないのは言語道断という他はない。医者・看護師が感染して亡くなっているのはマスクのストックが足りないからである。人工呼吸器が決定的に不足し、現在では一つの機械を患者二人、あるいはそれ以上にあてがうありさま。一刻も早くワクチンの生成が望まれる。死者は最低でも10万人から20万人にのぼるだろうと懸念されている。10万人と言ったら、朝鮮戦争とベトナム戦争の米軍死者の合計より多いそうだ。ニューヨーク州が最悪で、カリフォルニア、ワシントンがそれに続く。ニューオルリーンズやデトロイトが次の激戦地になるだろうと予測されている。

激戦地と書いたのは誇張ではない。医療関係者の活躍は英雄的と言っていいが、それもとうに限界だ。現在では軍隊まで出動している。その一環として軍用の病院船をロスとニューヨークに配置し、コロナウイルスではない患者を収容している。これは従来の病院だけではベッドが足りないからで、そうやって陸上ではコロナ患者への対応に集中する作戦だ。その反面、他の病気で重体になってもコロナを恐れて入院したがらない患者も多い。

ニューヨークではセントラル・パーク(公園!)にテント張りの野戦病院を設置した。また死体置き場がいっぱいになっているので、食料輸送用の冷凍トラックやアイススケートリンクをその代わりに使用している。

アメリカは連邦制で一つの州がほとんど国家といっていいが、そのために現在まだ全州で足並みが揃っていない。ある州は厳格な管理をしいているのに他州ではその程度が甘い、といったことがある。しかしそれでは早めに迎撃態勢をとった州は、あとから管理を強化した州で犠牲者が出る分、これまでの犠牲が無駄になってしまう、ということが起こる。だからこそ連邦政府の決断が望まれるのだが、例えば医療器具の調達にしても、トランプ大統領は各州知事に「なんとかしろ」というばかりだ。

カリフォルニア州では戒厳令で外出がほとんど不可能になった。サンディエゴでも、つい3週間前まで観光客で賑わっていたダウンタウンが猫の子一匹通らないゴーストタウンの様相を呈している。コミコンで有名なコンベンション・センターに病人を収容するそうだ。

レストランやバーだけではなく、国立や州立の公園、駐車場、海岸、図書館など何から何まで閉鎖になった(ガソリン・スタンドや病院、スーパーなどを除く)。

日本と同じく消毒液やトイレットペーパーが売り切れた。買い物に行くにもマスクが売り切れているからバンダナで覆面し、帽子をかぶってサングラスをかけると、まるで月光仮面の再来だ。


偶然にも、マイケル・フィンケルという人が書いた「森の異人」という本を読んだ(原題は‘The Stranger in the Woods’。)これはクリス・ナイトという人物が20歳から47歳まで、27年をたった一人でメイン州の山の中で暮らした生活を描いた実録物だ。私は自分でそんなことをする度胸も体力もないくせに、孤独に耐えて孤高の生活を営むといったたぐいの男女の事績に大変興味がある。

詳細は省くけれど、ナイトは人を避けて森の中にテントを張って暮らした。メイン州というところはアメリカ合衆国の北東にあって、その大部分が原始の森林だ。誰とも連絡を取らず、一度だけハイカーと道で行き合って、「やあ」と言ったのが27年間ただ一度の会話だったという。

冬は豪雪地帯であって、普通ならとても生き延びられるものではないが、ナイトは強靭な体力と精神力でそれに耐えた。そして一度も病気にかからなかった。彼は「周りに人がいなければ病気にはならない」といっている。

現在の大疫病を思うとうならずにはいられない。彼の意見では病気というものは他者がもたらすものなのだ。人間がいなければ病気にはならないのだ。頭で考えれば、ペストを運ぶネズミ、マラリヤを媒介する蚊、他にもダニやこうもりなど、森の中に生活する動物で危険なものはいっぱいあるはずだが、でも人里離れた地では病原菌の伝播(でんぱ)そのものが滅多にないことなのかもしれない。

ひるがえって我々の現在の生活を見ると、この恐怖の原因は人間なのだ。だから人の集まる学校も教会も閉鎖。コンサートもパーテイーも取りやめ。お互いに2メートルほど離れていなければならないとされている。我が家の近所では毎朝犬の散歩をさせる人が歩いているが、以前は立ち話でもするところ、今はわざわざ近寄るのを避けて遠回りして歩いている。まあ、「おはよう」ぐらいはいうけれど。

これは図らずもアメリカ人にひきこもりを強制する結果になった。誰も仕事に行くことができない。第一仕事が消滅してしまっている。経営者は給料を払えないから従業員をクビにせざるをえない。失業者はうなぎのぼりだ。これが経済に反映しないはずはない。議会では2.2兆ドル(240兆円)という前代未聞の巨額の財政出動が可決された。

これは全国で年収800万円に達しないものには一律に13万円を支給する、さらに子供一人につき5万4千円を上積みするという計画だ。それがどの程度の助けになるのか、私にはよくわからないけれど。

カリフォルニアでは家賃を滞納しても、大家は立ち退きを迫ることができない、と決定された。


株式市場は大暴落。トランプが大統領になってからというもの、営営として築かれた利益は全て御破算となった。経済が好調なことが唯一の取り柄だったトランプに取っては危機だ。青ざめた彼は「病気よりもその治療の方が危険の度が大きいとは本末転倒だ」などと言い出し、一時、何の根拠もなく復活祭までにはすべて元に戻すと宣言した。

アメリカには医務総監(米国公衆衛生総局の長)といって、全国の医者の親玉のような役職があるが、その総監が「これから状況は最悪になる」といっているにもかかわらず、だ。

復活祭といえば4月12日である。あと2週間ない。そもそも病の流行に対して日時を限って何かを計画するというのが土台無理な話だ。復活祭は宗教行事であるが、病気の方には神様に対して遠慮会釈のあろうはずがない。医療を預かる高名な医学者たちが膝詰め談判をした結果、トランプはしぶしぶこの宣言を撤回した。


この病については、ひとつ我々にとって見逃せないことがある。それは差別の問題だ。コロナウイルスは中国の武漢が震源地だったというので、アジア人は白眼視された。中国から来た中国人ではないか、コロナウイルスをもたらしたのではないかと疑われたのだ。普通のアメリカ人にとって、中国人も日本人も韓国人も見さかいがつくはずがない。そのため、アジア人と見れば疑心暗鬼の塊となって接し、言葉による暴力がついには肉体的な暴力にまで発展した。

ニューヨークの地下鉄で、サンフランシスコの街頭で、女性が罵られたり、男性が消毒液を振りかけられたりしているところがビデオにとられている。特に心が痛むのは若い世代の犠牲者だ。アメリカ生まれのアジア人の両親を持つ、まごうかたないアメリカ人の少年が学校で除け者にされて「生まれて初めて差別を味わった」と語っている。

しかし全国でコロナウイルスの感染が頻発してからというもの差別は下火になった。カリフォルニア州の知事は「まわりの誰もが病原菌を持っていると思いなさい。もっと重要なことは自分があたかも病原菌を持っているかのようにふるまうことです」と言っている。そういう状況下ではアジア人だけを差別しても意味がない。

それなのにトランプはコロナウイルスを「中国ウイルス」と呼ぶことをやめなかった。記者会見で差別ではないかと指摘されても「ウイルスが中国から来たからだ。人種差別ではない」と平気の平左だ。演説の草稿に元々「コロナウイルス」とタイプしてあったのに、コロナに線を引いて消して、自筆で「中国」と書き改めた跡があったことが報道されている。

アメリカ全国の医師のほとんど1/3が外国生まれで、アジア系は17%だ。看護師は1/4が外国からのの移民だ。その彼らがアメリカ生まれの医療者に混じり、最前線で必死にコロナウイルスと戦っている。

ウイルスに国籍があるはずがないではないか。ばかばかしい。しかし国家の長がそういう態度を取るのはゆゆしい問題だ。トランプは自分の無策を隠すために中国を批判していると言われても仕方がない。そのためにアジア系の「自国民」が大変な差別を受けていることには無頓着で、それは雄弁にこの人物の性格を語っている。

もっとも、医療品の80%は中国に補給を仰がなければならないとわかって、さすがのトランプも最近は中国ウイルスと呼ぶのをやめたようだが。


雨上がりの朝、街を歩くと、車が走っていないものだから、空気はあくまで澄み、空はいよいよ青く、海は紺碧に輝いている。植物は繁茂してとりどりの色の花を咲かせ、鳥は楽しげにさえずっている。サンディエゴはこんなに美しかったのかと驚くほどだ。これが現在せめてものなぐさめである。



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