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縁の下のバイオリン弾き
164 多様性
2019年8月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ テレビドラマ「ヴィダ」から
私は毎日テレビを見ているけれど、それはもっぱらニュースと映画を見るためで、これまでテレビドラマはまず見なかった。

昔からテレビというメディアを信用しない傾向があったので、そのために香港滞在中は草創期の香港テレビを一切見なかった。もし見ていればもっと広東語が上手になったはずだと思う。

アメリカに来てからもテレビを持たない時期が長かったけれど、ある時から考えを変えて見るようになった。昔「イディオット・ボックス(阿呆箱)」とからかわれたのも理由のあることで、見始めるとこれが断然おもしろい。特に歴史的に重大な事件はテレビがあるからこそ臨場感を伴った記憶となる。

だからテレビはありがたい媒体なのだけれど、このために時間をむだに費やすこともおびただしい。 テレビなしを通している友人もいるから、反省させられるところだ。

そんな私が今年、ケーブル放送のあるドラマにはまってしまった。なぜかというと、これはロサンジェルスのメキシコ人街の話で、セリフにやたらにスペイン語が混じるからだ。

題名を“VIDA”という。ヴィダはスペイン語で「人生」という意味だけれど、主人公姉妹のなくなった母親ヴィダリアの愛称でもあるし、また彼女の経営していた酒場につけられた名前でもある。


以前スペイン語のクラスをとっていたことは前に書いたが、目の故障が発覚してやめてしまった。でも私の人生は一面から見るならば言葉と格闘してきた歴史であり、言葉を教えることを職業にしていたので、その緊張がなくなることは自分の人生に焦点がなくなってしまうような気がする。そのために1年半ほど前から、今回は個人教授でスペイン語を学んでいる。先生はカリフォルニア大学のスペイン語の先生、もとの同僚だ。教材を読むこともするけれども、目の不調は相変わらずだから、もっぱら会話に重点を置いている。

今さら外国語が上手になったところで、それを活用する時間は大して残っていない。第一現在の私の周りにはそのスペイン語を使って会話するべき友人がいない。昔はティファナに行けばスペイン語がしゃべれるという絶好の環境だったのに、麻薬カルテルの抗争が激しくなって以来ごぶさたしている。

ただ一人の例外は長年週一でうちに通っているお掃除のおばさん、グロリアである。このひとはメキシコ人で、英語を話さない。まったくできないわけじゃないんだろうが、うちではともかくスペイン語以外は話さないことになっている。

グロリアは車の運転もしないので、私は日曜日になるとオールドタウンのバス停まで彼女を迎えにいく。その送り迎えの車中でよもやまの話をする。それが私にとってもグロリアにとっても(と願っている)楽しみだ。

彼女はいわゆる「不法」移民ではない (来年の大統領選の結果によっては、この「不法」という観念そのものがなくなる可能性がある)。亡くなった亭主が正式な移民で、メキシコから呼び寄せた家族だから市民権を持っている。息子は海兵隊でイラクに何年も駐留した。彼もその妹もアメリカ生まれだからアメリカ市民だ。

私は彼らを子供の時から知っている。でも英語がネイティブの彼らをグロリアとの通訳にたのんだことは一度もない。どんなに面倒くさくても、グロリアとはかならずスペイン語で会話するのが自分に課した規則だ。

グロリアを送って行くときはリンダも同乗する。リンダはスペイン語ができないから私が通訳する。グロリアにとっては帯に短し、たすきに長し、と言った感じかもしれないけれど、それでも結構話がはずむのだ。


「ヴィダ」を見ると、英語のセリフの中に、大量に、実に大量にスペイン語が混じっている。 これはアメリカ人視聴者の大半が高校でスペイン語をかじったことがある、ということを考えにいれないと理解できない。しかしそれがドラマの成功につながるかどうかはわからないのだから、作る側にとっては一種の賭けだろう。

キャストもスタッフもほとんどメキシコ系で、その心情と文化をもろに描いている。こんなドラマは今までになかった。


製作者は実際にロサンジェルスで話されているメキシコ系の語り口を採用した、というのだが、アメリカ生まれなら英語がネイティブのはずで、いくら何でもあんなにスペイン語を混ぜるのは不自然ではないか、と私などは思ってしまう。しかしそれがこのドラマの際立った特徴として機能していることは争えない事実だ。

現に私だってその特徴がなければ見なかったはず。製作者のもくろみは的中したのだ。


メキシコ人街にある酒場のオーナー、ヴィダが死去した。もう独立して長いことロスには住んでいない娘二人が帰省して善後策を講じるのだが、仰天したのは未亡人だったヴィダには同性結婚した妻がいたという事だ。

姉はシカゴで成功したビジネスウーマン、妹はサンフランシスコで浮ついた生活を送るパーティーガール。性格も考え方もまったく違う二人が遺産として受け継いだ酒場を成功させようと奮闘する。

そこに二人の恋愛話がからみ、地域の政治的な、あるいは人種的な葛藤が影をおとす。アメリカ生まれの登場人物は前述のようにスペイン語を交えるけれど、それはたいてい単語が主なのに、明らかにメキシコ出身とわかる移民は完全なスペイン語のセンテンスを英語と交互にしゃべる。しかしそこはアメリカのテレビだから、高校のスペイン語程度でもわかるような簡単な文型や単語に限られるように慎重な配慮がされている。

字幕一切なし。実に戦闘的だ。でもそれでは聞いてもわからないから、私はテレビの字幕機能をつけて見ている。それでいて知らない単語はまずでてこない。うまくできているなと感心する。

驚くのはこのドラマがこんな調子で進んでいきながら、番組の前途はまったく不確かという事だ。始まったのは去年で、5月ごろに3回ぐらい放映したかと思うとそれでやめになってしまった。

私が見始めたのは今年5月になって新しいエピソードが始まった時だ。その前に去年の分を一括して見せたから、話の筋を理解するには問題がなかった。しかし今回も5週ぐらいでやはり唐突に終わりを告げてしまった。番組が打ち切られたのかと思うとそうではなく、「今年の放映分はこれで終わり。来年またお会いしましょう」ということなのだ。そんなことを言っているけれど、全ては視聴率にかかっている。もし評判が悪ければ、私がどんなに見たいと思ってもお蔵入りになってしまう。

つまり1年ごとに成功か失敗かを見極めながら存続しているのだ。よくそんな悠長なことをやっていられると思う。テレビの視聴者なんて浮気なものだ。いくら今年優れていたからと言って、来年まで待って同じ番組を見てやろうなんて熱心な視聴者はあまりいないのではないだろうか。


製作者にとっては綱渡りだ。そのためにドラマは現在のアメリカ文化を最大限反映させるように作られている。その肉薄によって視聴者を獲得しようとしているのだ。

同性結婚がごく普通のこととして語られるように、LGBTは大きな影響を及ぼしているし、出身コミュニティ(この場合はメキシコ系アメリカ人)に対する忠誠も、古くて新しい問題だ。全編にメキシコやアメリカ西海岸ではやっているスペイン語の歌が流される。「え?これアメリカなの?」と問わずにはいられないような多様性こそがアメリカの文化だ、という主張が見え隠れする。

しかしドラマはもとより、製作者のその必死の思いをも押しつぶすような社会の変化が現在進行している。


トランプ政権が誕生してからアメリカ全体が右旋回し、人種間の緊張が高まったことはご存知だろう。今年になってついにそれが爆発した。7月にトランプ大統領が自分の政策に反対する野党民主党の非白人(プエルトリコ系、アフリカ系、パレスチナ系、ソマリア系)の女性議員四人を一括して「失敗国家からやってきたどうしようも無い連中。そんなに嫌なら自分の国に帰ったらいいではないか」とツイートしたのだ。

ところがこの四人は全員アメリカ市民だ。三人はアメリカ生まれで、ただ一人、ソマリア生まれのイーラン・オマール(第160回「ジャシンダ・アーダーン」で触れました)も帰化したアメリカ人だ。だからこそ国会議員に選ばれたのに「帰れ!」とは人種差別以外の何物でもない。

アメリカではこの「帰れ!」という酷薄な言葉が特別な意味を持っている。アメリカ人は先住民を除いて全員が移民かその子孫だ。しかし新しい移民がやってくるたびにこの言葉が投げつけられた。最初はカトリックのイタリア人やアイルランド人、異教徒であるユダヤ人が標的にされた。それから中国人、日本人、そして現在はモスレムのアラブ人だ。

その中で何と言っても一番の被害者は黒人だろう。うそにもアメリカにあこがれてやってきた他の民族と違い、彼らは奴隷として働かせるために無理やりアフリカから連れてこられたのだ。その彼らに対して「帰れ」ということは理不尽を通り越して存在自体を抹殺する、決して許されない言葉だ。

つまりこれは一部の白人が肌の色や宗教で人を差別するときに使う言葉で、憲法で保障された言論の自由と平等の精神に真っ向から反対する。トランプがいう「偉大なアメリカ」とはつまるところ「白人のアメリカ」ということだ。

このツイートの後、ノースカロライナ州であった政治集会では「(オマールを)たたき出せ!」という熱狂的な支持者の叫びがトランプの演説をさえぎった。それをたしなめでもすることか、傲然と勝ち誇ったような態度をとった大統領の姿に心ある人は背筋の凍るような思いをした。


そもそもは四人がメキシコとの国境に今年押し寄せた中米移民の対処に関してトランプにかみついたことに端を発する。トランプ政権は移民を劣悪な環境に放置し、あまつさえ幼い子供を母親から引き離すなど、非人道的な政策に終始した。これに内外から強い抗議が相次いだのに業を煮やしたトランプが人々の関心を移民政策からそらすために四人を攻撃したのだ。

その攻撃が悪名高いトランプのツイートの中でもひときわ人種差別的なものだったのは不思議でもなんでもない。トランプはオバマ大統領の出生に疑問符を突きつけたことで知られる。アメリカ人ではないというのだ。黒人を大統領にしたくない層がこれを支持した。

ヴァージニア州シャーロッツビルでの人種暴動の際はネオ・ナチにも「立派な人がいる」と言ってのけた。

アメリカ市民に向かって「国に帰れ」とは言いも言ったり。同じことばを投げつけられ、強制収容所に入れられた経験のある日系人には痛みなしには聞けない言葉だ(合衆国政府は戦後40年たって日系人に謝罪した)。

四人に民主党全体を代表させ、彼らを反米と規定し、来年の大統領選で再選を果たそうとトランプが画策していることはまちがいない。国是を揺るがす大問題も、彼にとっては選挙対策以上のものではないのだ。


画期的なドラマ「ヴィダ」も、視聴率より先に、全米に広がりつつあるゼノフォビア(よそもの嫌い)の風潮のために来年葬り去られてしまうかもしれない。



注)スペイン語にはV音がないので、VIDAのスペイン語の発音は「ビダ」ですが、アメリカの英語のドラマなので「ヴィダ」と書きました。

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