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縁の下のバイオリン弾き
156 かすかな訛(なま)り
2018年12月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
日本に外国人が増えていることはよく知っているつもりだったけど、今回帰ってその増加ぶりにびっくりした。いや、数字や統計で示せるようなことではないのだが、単純に店頭で会う人々の中の外国人の割合が、以前では考えられなかったほど多かったので、日本の移民状況は本当に変わったのだなあと思った。

外国人の店員の増加ということは、外国の人々が日本語をかつてないレベルで習得し、日々その日本語を使って過不足なく過ごしているということだ。

バブルの時に日本は外国人で溢れた。それは日本がマーケットとして魅力的だったからだ。その頃にも日本語の上手な外国人はたくさんいたのだろうと思うけれど、街頭で何かを売っている人は別として、店舗を構えている業種でその店を支えている人がほとんど外国人、という状況は経験しなかったように思う。

私は語学の教師だから、そのレベルに達するまでにどれだけの努力が必要か、ひしひしとわかる。その努力に対してはおのずから頭がさがる。

もちろん、私が聞いて「あ、外国人だな」と思うということは、彼らの日本語が完璧ではないことの証拠だろう。ごく微かな訛りとか、イントネーションの違いとか、読み誤りとかあることはある。でもそれは、私自身がアメリカで英語を操っても、自然に出てしまう発音や文法のあやまりと同じようなものだ。アメリカでそんなことをとやかくいう人はいない。日本もだんだんそのようになっていくのではないかと思わせた。

成田について、まずすることはSoftBankで私のスマホに日本の電話のシム・カードを入れてもらうことだった。その操作をしてくれる店員が外国人だった。私には理解が危うい事柄について懇切丁寧に説明してくれた。その語学力に驚嘆した。

でもそんなことは序の口で、どこに行っても素晴らしい「外国人の日本語」が聞かれた。マニュアルをおうむ返しにしているからそれができるのだ、ということはある程度言えるかもしれない。その店の業種以外でちゃんと受け答えできるか、という疑問は残る。でももしそれを根拠に彼らの日本語を貶(おとし)める人がいたなら、私は反問したい。どこか外国に行って、あなたはその国のある業界のマニュアルを記憶し、質問を聞き分け、そつなく答えられるほどに言葉をあやつることができるだろうか、と。

もっとも普及している英語ですらそれは難しい。まして中国語やロシア語で、あるいはアラビア語やトルコ語でそんなことを要求されたら、あなたはまず確実に絶望にとらわれるだろう。

「アラビア語なんて冗談じゃない」と思われるだろうか。でも日本語とアラビア語は「世界で難しい言語」の双璧(そうへき)なのだ。「誰がそんなことを言ってるんだ」と聞かれたら答えに困るけれど、日本語が難しいことは間違いない。

その難しい言葉をマスターしてマニュアルを読むだけでも大変なのに、日本語には敬語というものがあってその場によって使い分けなければならない。その困難は日本語を母語としている者には想像もつかない。

成田から東京のホテルまでリムジンに乗ったのだが、たまたまどこかで事故があって、そのバスの到着が遅れた。申し訳ないと何度も丁寧な謝罪の言葉を述べた若い女性従業員が多分インドから来たと思われる人だった。彼女のパートナーは日本人かと思ったら、インド女性よりも日本語が下手な中国人だった。

ユニクロで買い物をした。リンダがアメリカ国籍なので免税の特典がある。会計をした女性は日本語だけでなく、流暢(りゅうちょう)な英語を話した。私は中国語でやり取りしたからわかったのだけど、彼女は中国人だった。つまり三ヶ国語のトライリンガルだったのだ。そんな人材が、なんでユニクロの店員なんだ!と憤ってしまった(ユニクロさん、ごめんなさい)。

だってそうでしょう。バイリンガルの芸能人がテレビで大金を稼いでいる。環境のせいでバイリンガルにならざるを得なかった人が多く、その過程で人には言われない苦労をしているのかもしれないが、それでも2言語の習得には有利だったと言えると思う。全くなんの素地もなく言葉を勉強してきた人が2種以上の言葉を物にするのは大変なことだ。

大戸屋の店員が中国人だった。すき屋の店員が中国人だった。彼らの日本語には問題があったけれど、理解できないわけではなかった。というか、訛りがあるくせに流暢そのものだった。

ふだんから不眠症気味なのに、時差ぼけで全然眠れないところからホテルのそばの薬局に行った。最初に問答した店員は中国人だった。彼女が呼んできた「主任」も中国人で、「最近は睡眠薬とは言いません。睡眠改善薬と言います」と私の言い方を直し、適当な薬を探してくれた。訛りがあったけれど、主任をしているからには日本で薬学の教育を受け、資格試験なども通っているのだろう。まだ若い女性だったから、中国から日本に移ったのがいつだったとしても、結構短い間にその地位を固めたのだと思われる。

というわけで私は感心のしっぱなしだった。


渋谷の台湾料理屋で大学時代の友人たちと会った。大学時代にここで食事をしたときは私は習いたての中国語で注文して見せ、得意になったものだったが、その頃からここの店員は華僑の二世で、日本語も中国語も両方ともネイティブだった。

アメリカでのように、私自身が外国語をしゃべっている環境で中国語を使うのにいなやはないし、むしろその方が自然だけど、私同様日本で教育を受けた中国人に日本語を使わず、わざわざ中国語を使うのはおもはゆかった。アメリカで出会った日本人とことさら英語で会話をするような恥ずかしさがあった。これは経験した者でなければわからない。私は日本人とはいつどこでも日本語で話すのが正当だと思っている。私の考えでは、日本で生まれ育った外国人はもはや外国人ではない。

レストランで結局、私の言葉は日本語と中国語がないまぜになったとても奇妙なものになった。

でも後で考えてみれば、彼らは二世だったとは限らず、中国から来て日本語を学んだ中国人だったかもしれないのだ。周囲の中国人の進出ぶりを考えれば、レストランだけが伝統に忠実である必要はない。

もし彼らが中国から来た人々であったなら、私は臆することなく中国語で話せばよかったのだし、その用意もあったのだ。それなのに、二世だろうと思って中国語を口にするのがためらわれた。日本語がそんなにうまい(中国からの)中国人がそうそういるわけがない、という昔ながらの偏見を私がいまだに抱いていたためだった。

他方で私はとんでもない失敗を犯してしまった。あるとき表参道から渋谷まで歩いたのだけれど、途中でオープン・マーケットを発見した。そこである特殊なお茶の葉っぱを売っている少女が黒人の外貌をしているのに、日本語がとても流暢なのに感心した。傍らにリンダがいたために彼女は英語でも話した。その英語もネイティブだった。

印象深かったし、日本に来てから何日かたった頃で日本語がうまい外国人にようやく慣れてきた時でもあったので、つい何の気なしに「どこからきたの」と聞いてしまった。

私は誓ってもいいが、ふだんこんな質問はしない。するとしたらアメリカで中国人とわかっている人に「どこから来られました。上海ですか北京ですか」などと聞くことがあるばかりだ。

少女は笑って「日本で生まれて日本で育ちました。父はハイチの出身で、母は日本人です。教育はアメリカン・スクールだったけど」と軽くいなして私を赤面させた。そうだったのだ。そういう可能性を、日本語が上手な外国人の存在のために、すっかり忘れていた。あのリムジンバスの従業員だって日本生まれだったのかもしれないではないか。

私には弁解の言葉がない。つい最近大坂なおみ選手のインタビューで「アイデンティティ」がどうのこうのという記者のどうしようもない質問に苛立ったのは私自身ではなかったか。

私は今になって彼女に謝罪したい気持ちでいっぱいだ。いやその瞬間だって自分の非礼は重々わかっていた。しかし想像もしていなかった自分の行動にあっけにとられて謝ることもできなかった。


外国人の増加に伴って、インターネットでは排外主義が飛び交っている。外国人が日本の文化を変化させてしまうのが心配なのだろう。彼らの持ち込む文化が日本の文化とは異なるために、水と油のような状況に我慢できず、すべて追っ払ってしまえ、ということになるのかもしれない。

しかしいまやそんなことはできない。少子化と高齢化の日本の将来を考えたら、移民を入れないわけにはいかない。

日本人は心配するには及ばないのだ。これについてはアメリカの経験が参考になる。アメリカでは新しい移民が来るたびに彼らを排斥する運動が起こった。特に日本人や中国人には「奴らは自分の生き方に固執して一向にアメリカの文化になじまない」という非難が長く続いた。

これが根拠のない偏見であることは今でははっきりしている。確かにアメリカにきたばかりのいわゆる「一世」は自分の生き方を変えるのが難しかったかもしれない。でも彼らの子供、孫、ひ孫と世代が下がるに従って、逆に彼ら自身の文化を守るのにやっきにならねばならなかった。どんな移民の子も英語を話し、アメリカの学校に行く。アメリカで教育を受ければいやもおうもなく「アメリカ人」になっていく。

日本だって同じだ。日本で生まれ、日本の教育を受けた人は日本の文化を自分の文化として受け入れる。たとえいやでも、逃れることはできない。政治的、心情的にどう自分を定義するかということはさておき、文化的には日本人以外にはなり得ない。

欧米でのように、移民がテロや犯罪の元凶になるというおそれはないわけではない。しかし反対の場合を考えてもらいたい。日本人は世界中どこでも模範的な移民だ。その行動は日本の文化に基づく。その文化を分け持った移民が日本の社会で生成されていけば(それには機会の均等と定住化が必要だ)、そのようなおそれは減少していくと思う。


もう50年近い昔のことだけれど、私が香港に行ってすぐに、アグネス・チャンがジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」を大ヒットさせた。まだ高校生だったと思う。ギターを弾きながら、英語で歌っていた。当時香港は英国の植民地だったから、彼女が英語で歌うのは自然だった。人気は出たけれど、次の年には日本に行ってしまった。あの頃の彼女の日本語はたどたどしかった。

同じ頃、日本では欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)が活躍していた。彼女は台湾出身だ。デビューしたての頃の彼女の曲を今聴くと、かすかな訛りがあることがわかる。外国人として初めて紅白に出場した。

この二人が新人歌手だったのに比べると、テレサ・テンこと麗君は当時から中国圏随一の大スターだった。香港でも人気は突出していて、アグネスなどは足元にも寄れなかった。そのためもあって、来日は二人よりも遅れたけれど、日本でもたちまち大スターになった。日本語も上手だったが、それより何より、 彼女の歌を聴いてそれが日本人の心情を表したもの「ではない」と言える人はいないだろう。

テレサは亡くなってしまったけれど、この三人の軌跡を見れば、日本人だ外国人だと目くじらをたてることがいかにアサハカなことかよくわかると思う。

ネットで中国からの移民を排斥する人たちは彼女らの歌もけなすのだろうか。そんなことをしたら、日本の文化の一部分が溶けてなくなってしまうということを考えないのだろうか。
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