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34 さようなら
2021年3月27日
シーラ・ジョンソン シーラ・ジョンソン [Sheila Johnson]

1937年、オランダのハーグに生まれるが、10歳のときからアメリカに在住。大学で人類学、大学院修士課程で英米文学を学び、人類学博士号を取得。高齢化問題や日本について書籍や記事を出版し、夫が創設した日本政策研究所の編集者を10年間務めた。チャルマーズ・ジョンソンが他界するまで彼と53年の結婚生活を続けた。現在サンディエゴ在住。
▲ 息を引き取る6日前にケーキの形に飾られた花でお誕生日を祝ったシーラ。
There’s something to be said for telling close friends that you’re in hospice care and going to die soon: you get to attend your own funeral. The house fills up with flowers and people send you lovely emails saying how wonderful you are and how much you’ll be missed.

親しい友人たちに、ホスピスのケアを受けていて死が近づいていると知らせると、自分の葬儀に出るようなことになる。家中が花でいっぱいになり、あなたはどんなに素晴らしい人だとか、いなくなったらみんなどんなに寂しくなることだろうというような心優しいメールが送られて来るのだ。

One also gets to make a lot of important decisions. Gifts can be distributed, last minute words of advice and wisdom dispensed, memories recounted while one still can utter them. And then, of course, you do get to go through with it and actually leave the scene. It really wouldn’t do to hang around and say you were faking and didn’t mean it after all. The English critic and poet Clive James managed to outlive his diagnosis for a number of years, during which he wrote a lot of melancholy poems, but even he may have gotten a bit tired of waiting for the end.

同時に、大切なこともたくさん決められる。贈り物が分配できるし、最後のアドバイスや知慮の言葉を伝えたり、まだ話せる間には思い出を語ったりできる。そうしてもちろん、最後のことをやり遂げて、この場から去って行くのだ。いつまでもぐずぐずと居残って瀕死の病のふりをしていたけど死ぬなんていうことはなかったんだ、なんて言ってもしょうがない。イギリスの批評家で詩人のクライブ•ジェームズは、診断から何年も生き延びて、その間に彼はメランコリーの詩をたくさん書いたが、そんな彼でも来るべき最期を待ちくたびれたかもしれない。

One also gets a chance to write one’s own obituary. Many years ago a good friend sent us a Christmas letter that began, “By the time you receive this, I shall be gone.” He had been diagnosed with liver cancer earlier in the year, used the remaining time to set his affairs in order, and written his farewell to life and his many friends.

また、自分の死亡通知を書くチャンスもある。何年も前に、ある親しい友人が「この手紙を受け取るころには、私はこの世にはいないでしょう」と始まるクリスマスの挨拶状を送ってきたことがある。彼はその年に肝臓癌と診断され、残された時間を身の回りの整理に使い、自分の人生と多くの友人に別れを告げる手紙を書いたのだ。

In composing my own obituary, I’m wondering what words I can offer about my stay on this earth. Even though I’ve had a long life, it all seems to have flown by.

私自身の死亡通知を書くにあたり、私はこの世での自分の存在についてどう言ったらいいのだろう。長い人生ではあったけれど、あっという間に過ぎていったような気がする。

It began in March of 1937 with a decade in Holland; followed by almost a decade in Los Angeles. I married Chal when I was 20 and received my Ph.D. shortly after I was 30 -- a decade filled with new discoveries of every sort.

私の人生の最初の10年間は1937年3月にオランダで始まり、その後のおよそ10年間はロサンジェルスで過ごした。20歳のときにチャル(訳者註:東アジア専門の政治学者、チャルマーズ•ジョンソン)と結婚し、30歳を過ぎて間もなく博士号を取得した。それはいろいろな意味で新しいことの発見でいっぱいの10年間だった。

My thirties were devoted to trying to figure out what I wanted to do with my life: teach, write, edit, have a child? Except for the latter, I did a bit of everything. My 40s went by in a flash of travel, going to operas, and being a faculty wife.

30代は、自分がどう生きたいのかを模索し続けた。教鞭を取るか、物書きをするか、編集をするか、子供を持つか?ということだが、私は最後のもの以外はすべて少しずつやった。40代は盛んに旅行すること、オペラに行くこと、そして教授の妻の役割を果たすことで過ぎた。

My 50s began with our move from Berkeley to San Diego and my serving as editor, printer, and mail-girl of JPRI -- the grandiosely named Japan Policy Research Institute, which I prefer to think of as Chal’s and my mom-and-pop think-tank.

50代はバークレーからサンディエゴに引っ越すことと、JPRIの編集者、印刷者、発送者の全部の役割を果たすことで始まった。JPRIとは日本政策研究所と大袈裟な名前のシンクタンクだが、チャルと私の個人経営シンクタンクという呼び方の方が私にはよかった。

My 60s were the decade devoted to helping Chal produce the three books that briefly made him a “public intellectual.” I say ‘briefly,’ because -- important as those books seemed at the time -- they have been superseded by events and younger writers, whereas the two books he published in 1962 (Peasant Nationalism and Communist Power) and in 1982 (MITI and the Japanese Miracle) continue to be read (and earning royalties).

60代のときは、ちょっとの間チャルを「パブリック•インテリ」として有名にした3冊の本を彼が出す手助けに専念した。「ちょっとの間」というのは、その3冊は出版された当時は重要だと思えたのだが、その後の出来事やもっと若いライターたちに取って代わられたからだ。それに比べて、彼が1962年に出した『中国革命の源流』(邦訳名。日本での出版は1967年)と1983年に出した『通産省と日本の奇跡』(邦訳名)の2冊はいまも読まれて(そして印税も稼いで)いる。

The decade of my life that began in November of 2010 with Chal’s death has been perhaps the most productive in that it gave me time to ‘digest’ all that has happened and to put it into a historical framework. I also owe a deep debt of gratitude to Fran Conklin, who shared her own life with me and whose perspective has deepened mine.

チャルが他界した2010年11月から始まった10年間は、私の人生の中でおそらく最も生産的なものだったと思う。それまでに起こったことの全てを消化して歴史の流れの枠組みに入れて考える時間ができたからだ。また、私はフラン•コンクリン(訳者註:ハウスメート)に深く感謝している。彼女は自分の人生を私と分け合ってくれ、また彼女の物の見方は私の見方を深めてくれたのだ。

I toyed with writing a memoir or an autobiography, but really . . . who needs another book shouting “me, me, me; Kilroy was here.” Better to exit quietly. So I leave you with some words by my favorite poet, W.H. Auden: 

回想記か自叙伝を書こうかと考えたりもしたけれど、でもやっぱり…「見て、見て、見て、私はここにいたのだ!」なんて叫ぶような本がもう1冊出るなんて、誰にとっても必要ないだろう。静かにこの世から去って行った方がいい。それで、私は好きな詩人、W.H.オーデンの言葉を皆さんに残して行くことにする。

. . . though one cannot always
Remember exactly why one has been happy,
There is no forgetting that one was.

   …なぜ幸せなときを持ったのかは
   いつも覚えているものだとは言えないけれど
   幸せだったことを忘れることは決してない。



(訳:雨宮和子)

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