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2020年から蘇る(3) |
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2021年2月19日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ 2021年元旦。ウィニーとチョーチョと私。ウィニーは我が家に来たときは栄養失調で全くと言っていいほど毛がなかったが、いまはモコモコしている。 |
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振り返ると、トーマスのメモリアルを1月末に行ったのはどんなにラッキーなことだったか。もう少し遅く計画していたら、新型コロナウィルスの蔓延が急速に広がって、国外はもちろんのこと、国内でも移動制限が始まり、遠くからは誰も来られなかっただろうし、地元からでも人が大勢集まることもできなかっただろう。トーマスのためにインドから飛んで来てくれた友人は、ついでにちょっと仕事を片付けてから帰ろうとして、結局インドに戻れなくなってしまった。
5月末にはイギリスでもトーマスのメモリアルを計画していたのだが、もちろんそれは1年延期。今年もどうなるかわからないので、もう1年延期して来年春に行うことにした。10月には東京で大学卒業50周年の同窓会が予定されていたが、それも延期。
いや海外どころか、どこへも行けない。おまけにロックダウンが始まって、身近の友人たちとも集まれなくなってしまった。それなら、とこれまで長い間やりたいと思っていた庭の大改造を手がけることにした。我が家の庭は、美観などはそっちのけで、トーマスがひたすら野菜を毎年どっさり育てていて、その収穫物を配って回るのが私の役目だった。これからは自分一人で野菜を育てていくつもりではいたけれど、トーマスのようにはできない。それに、広い庭の空間をもっと利用したいと思って、専門家に庭の改造を頼んだ。彼女はトーマスが残したものを大切にしてくれた上に、無駄にしていた空間をくつろぎの場にデザインしてくれた。
また、どこへも行けなくなったおかげで、捨てられていた2匹の小型の老犬を引き取ることにもなった。(そのことは、205回目「ニコニコの贈り物」に書きました。)犬たちの健康が十分に回復した8月に、プードルの雑種犬ウィニーに白内障の手術を受けさせ、手術後の世話が結構大変だったけれど、視力が回復してウィニーは日ごとに活発になって若返っていった。同時に、近所に住む親友とたびたび夕食のやり取りをして、友情がますます深まっていき、どこへも行けないがために生まれた素晴らしいこともあった。
と、個人的には障害を感じずに2020年を乗り切れたのだが、個人の枠を越えた社会はそうはいかなかった。
コロナウィールスの蔓延がもたらす悲劇は、少数民族の経済的困難や感染者や死者の数に最も顕著に現れた。それに重ねて、ジョージ•フロイドが白人警官にに殺されるという事件が起き、組織的人種差別の実態が急に表面化し、抗議運動が人種を超えて急に広がっていった。私にできることは近所の人たちと「BLACK LIVES MATTER」(黒人の命も大切だ)の看板を立てることしかなかったけれど、アマゾンの注文品を配達に来たアフリカ系の青年に「サポートをありがとう」と言われ、多民族平等社会を目指した幅広いサポートをアフリカ系の人たちが受け入れているのを感じた。同時に、トランプによって勢いを増してきた白人至上主義はますます表に立って行動を起こすようになり、アメリカ社会の二分化はますます激しくなっていった。
それを煽るトランプは大統領に再選されることにしか関心がないようで、自分が選ばれなかったとしたら、それは選挙が不正だからだと選挙前から主張し続けるし、共和党もあの手この手を使って投票妨害をしようとしているし、どうなることやらと私はとても不安だった。選挙日が近づく頃には心配が募って眠れなくなったくらいだ。バイデンが当選してほっとしたものの、トランプは「不正」のために自分の票が盗まれたと主張することはやめず、それを鵜呑みにして彼に同調する勢力もおさまらず、どうなることやらと、新年が明けても重い気持ちだった。
1月6日に起きた暴徒の国会議事堂侵入には、私にも大きなショックだった。いくらなんでもこんなことが起きるなんて…と思いながら、私はテレビの画像に釘付けになった。
これからもアメリカ社会の二分化はますます進むという見方が多いけれど、とにかくバイデンが大統領に就任してからは、過去4年間の悪夢から目が覚めたように政府が正常に動くようになって私はホッとしている。そして、私自身も少しずつ前に進んでいくような気がする。 (完)
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